東京銀座・・・
2015年11月16日
入社して二つ目の事業所は、東京の亀戸であった。日本の経済成長が安定期に入った昭和50年代、世の中が明るく社内も活気に満ち、下町人情に触れた日々は、ひとしお懐かしさを感じていた。
夏の初め、その時の仲間から社友会の案内を受ける。当時、責任者だった岩瀬慶孝さんの傘寿と販売を統括していた西森靖人さんの喜寿を祝う会だそうな。これは何を置いても駆けつけようと航空券を手配した。
泊りはいつも利用する大井町駅前のホテルを予約。ここの大浴場はシャンプーやボディソープのアメニティグッズに、会社の製品を置いてあるからだ。リタイアした今でも、旅先の宿で目にすると「よしよし」とほくそ笑み、余分に使ってしまう。これが競合他社だと言わずもがな。
秋日和の中、有楽町駅から道順を辿ると同じメモを持った人達に遭遇し、「○○さんでは?」「おお~○チャンか!」と数十年振りの邂逅が始まった。しばらくして女性たちが連れ立って来た。さすが永年のキャリア、肌の手入れが行き届いている!?
会場は、イタリア料理〝ピッツェリア・イル・ビアンコ〟を貸切り、細尾幸平オーナー自ら采配を振るってくれ、アットホームな雰囲気で和んだ。
この歳になると、両親、恩師、上司の元気な姿にまみえることは嬉しいものだ。やがて、ビールやワイングラスの交わされる光景がデジカメに納まっていく。
CMソングで流行った「サクセス」「10000ボルト」「夢一夜」「ナツコ」などがBGMとして流れると、お互い若かりし頃のことが浮かんで弥が上にも話に花が咲き、中には大病を克服した話も少なくない。
かつて、年賀式と4月8日の創立記念日で必ず唱和していた社歌が聞こえた瞬間は、思わず立ち上がる。多くの校歌を作詞した歌人の土岐善麿、音楽家として「朝はどこから」などの作曲をした橋本國彦による『あしたの空には雲もにおい~』『~銀座のさかえをここに占めて~』と肩組みあって、3番まで諳んじる30名の顔は輝いて見えた。
勤めていた会社は、煉瓦通りに瓦斯灯揺れて、華と開いた明治の春に遡り、ここ東京銀座が創業の地として、我々の心の拠り所に当たる。
◎プロフィール
〈このごろ〉永青文庫で、話題となった春画展を観る。密封された分厚い図録を開けると「18歳未満への・・」但し書きが付いていた。