「伊豆の踊子」の里
2015年11月30日
伊豆旅行が決まってから、旅の計画を立てた。その伊豆の旅に大島を加えた。
大島の波浮港は「伊豆の踊り子」の里だという。観光ガイドブックで紹介されていた。旅行へゆく直前に「伊豆の踊り子」のDVDを観た。学生が高橋英樹で踊り子が吉永小百合だった。
10月11日、熱海港からジェット船に乗ったのが午前11時だった。45分ほどで大島の岡田港に着いた。伊豆緒島の北端にある大島は東京都の町である。
民宿は波浮にあるのでバスで直行する前に、時間に余裕があった。バスの接続を調べ、大島公園ゆきのバスに乗った。
曲がりくねった狭い道を海岸線にそってバスは走る。ソテツやユーカリの樹が南国を思わせる。公園の記念館に入って、椿の花や大島紬、陶芸品を見て、庭園を散策してバスに戻った。
女性の車掌さんに「波浮港へゆきたいのですが」と声をかけた。彼女は時刻表を手に、乗り継ぎを筆記してくれた。
民宿に電話すると「海洋高校前で降りてください」と言われた。そのバス停で降りると、民宿の主人が迎えにきた。彼の車に乗って「実は踊り子の里資料館を見学したいのですが」と言うと「波浮の港の方ですね。それを電話で先に言ってくだされば…」とやんわり指摘された。
私は波浮の港で降りた。
「お客さん、時間を気にしないでゆっくり観て、終わったら電話ください」と彼は民宿に戻っていった。
私は勘違いしたのだ。民宿の住所が波浮となっていたので、波浮港と民宿は近いと思った。夕食の準備で忙しい時間に、無駄な送り迎えをさせて恐縮した。
私は「踊り子の里資料館」を目指した。大島の旅芸人一座が伊豆半島へゆき芸を披露した。学生だった川端康成が伊豆「湯本館」に2泊した時、一座が宿に来て、板敷きで踊り子が踊るのを彼は見ていた。それを着想に「伊豆の踊り子」が書かれたという。
古い建物が両側に残る小路を歩いた。左の階段をあがってゆくと踊り子の資料館の「旧港屋旅館」が見えた。閉じられた玄関のはり紙を見つめた。「午後4時まで」とあった。落胆しながら引き返した。階段をあがり文学散歩とした。小説家の林芙美子、幸田露伴。児童文学の巌谷小波などの碑文があった。山の上から波浮の港を眺めて、来た階段を降りた。
迎えにきた宿の主人には、さも見学できたという満足顔で「忙しい時間に2度も来てもらいすみません」とわびた。
◎プロフィール
(よしだまさかつ)
北海道新聞「朝の食卓」元執筆者。十勝毎日新聞「ポロシリ」前執筆者。「流転・依田勉三と晩成社の人々」刊行。