極寒の冬の寝起きは楽しい
2016年1月18日
凍える冬の夜、寝る時間なので電気をすべてスイッチオフにする。うちは出かける時や寝る時は、ガス、ストーブ、水道、照明など必ず指差し確認してゆく。
そして、しんじょに入る。さむっ! 蒲団をはぐって被る。
(ううっ、冷てぇ…)
堂々と仰向けになってなど寝ていられるはずもなく、首もなおのこと出していられない。真横になって手足はちぢこまりながら体は硬直している。少ししてから、足の冷たさが温みに変わりはじめてゆく。靴下をはいているからである。寝る前にトイレへ行ってなかったな、今か今か今だ、よし、と気合とともに蒲団をはねて立ち上がり、速足でトイレに向かい、済ませるとすぐに戻る。なにしろ気温は0度くらいだ。蒲団に入り、毛布と掛け蒲団を整えつつ被った。冷たかった身体がゆっくりと温んでゆく。このまますぐに寝ようとしてもそうはいかず、夕刊の科学、文化、国際政治などの記事を読む。横臥したまま両腕を手と肘の半分まで蒲団から出し、新聞を4分の1くらいにたたんで読むのだ。
(うーむ、ぼくが生きている日常よりその記されている世界は大きくしかもハイレベルの世界なのだ…)
読み終えると、次は側にある単行本を取って少し読み出す。
『はたらかないで、たらふく食べたい』(タバブックス)栗原康著で、人間社会の不条理について論評している。なかなかおもしろくてしかも考えさせられるのだ。著者は30代にして気鋭の政治学者で、非常勤講師の仕事を年に少しだけなさっているらしく、年収は80万円ぐらいだとか。そして親の年金で、一緒に食べて暮らしているという親孝行な息子なのだそうだ。異常な社会構造の世で働くことのありようがくるっており、そんな状態にあってあくせくはたらくなんておかしい…。というようなことを言っている。
読み進んでいるぼくは、ウー、ス、するどい、すんごいことをいってるな、と感心しながらふらふらしてしまっている。はたらかないほうがニンゲンらしいのかな、とフクザツカイキテキアタマでかんがえてみるのだが、まだ答えが出てこない。そう思っているうちに寒さゆえにまたトイレへと行く。
ぼく自身の生活も大変だが、この厳しき極寒生活は実に当たり前のこととして楽しくいきいきと暮らしているのだが、なんちゅうかもしかしてどこか栗原氏に似ているのかな。
「ううっさぶぃ…、た、たのひいな、いい気分だ。」
酷寒きびしきなかにおいてたのしげに休もうとするそれは、自意識をコントロールして沈静化しつつ明日に向かおうとしてゆくことでもあり、極寒の地における一種のごくらくてきたいかんパラダイスでもあるのだ。
翌朝、目覚める。なんという素晴らしいことか、世界は今日も極寒にあふれ、しかも大空は真っ青に晴れ渡っているではないか。
また1日がはじまった。
◎プロフィール
帯広市出身。自営業。文筆家。
著書 銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)
銀鈴叢書『歩いてゆく』(銀の鈴社)
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