No.1,213
2016年1月11日
本格的に年明けも世情不安は続き、世界的株安に今度はサウジアラビアとイランが喧嘩、北朝鮮では水爆実験だって。
がしかし、大晦日に話は戻します。NHK紅白歌合戦を例年のごとくテレビで、グラスを片手に見通し。見所、前年の北島サブちゃんに続き今回は森進一氏が紅白卒業の「おふくろさん」熱唱か。その紹介場面ではベテランどころ達は内心、「そろそろ自分も引き時かな?」、と周囲の空気を読み合っている様にも伺え、正直、一昨年のサブちゃんの決断には「もう、こんな相対的に安くなった感の紅白はいいわ」って心情は理解でき。「レコード大賞」もそうですが年末の「紅白出場」と言う、かつての「大金看板」の重みも世に連れ薄れ。そろそろ今回の郷ひろみに聖子にマッチらが、彼らのポジションに相当する位置付けともなり得。それでも司会の黒柳徹子さんが、年配視聴者にとっては良いアクセントとなっていましたが、そのうちジャニーズにEXILEとかAKBが儀礼的位置を占めるも必至、生き残っていれば。
そしてこの先、演歌はどうなのでしょう、カラオケが世に出始めた頃に思ったものですが「ボクも歳をとったら演歌を歌うようになるかな?、多分ならないな」と想像したものでしたが世代ギャップとはそういうもの、この歳になっても根っこは学生時代身体に入ってきたフォークソングで、それは酒が入り素になりマイクを握った時の選曲に現れる。世代的にも近頃はカラオケで「軍歌」を唄う先人にもほぼ会う事無くなり、正に「歌は世につれ・・・」なのでありましょう。
自分で作る楽曲でさえ経年変化していますし、まして自作ですからすこぶる「生もの」で、魂込めて歌い込めるのは正直作り上げてから精々半年くらい。か様に歌うは「鮮度」なれど聴き手に回ると「回顧的」価値が燦々と降り注ぐ。行ったり来たりしながらも「この命の証しの一曲を紡ぐが余生の全て!」、と断言に至る2016年初春なのでありました。