No.1,214
2016年1月18日
成人式も終了いたし、ニュースでは艶やかなる着物姿の娘さんらにスーツ姿も初々しい男子達。今年は暴動報道に接する事もなく、落ち着いた各地の式次第であった様で。今年で平成28年なるは完全に平成もこなれた頃に誕生しており、そこで、その彼ら生きてきたこの直近二十年間でドンナ考え方、将来像を胸に秘めているのか。
先日テレビで若者への街頭インタビューを見ていると、「何がしたいのか分からない、今の仕事をこなしているだけ」、って抑揚のない視線で答える子達の多さ。そこには、一応は人並みの生活をしてはいるが、その先の走り出す衝動に駆られる「希望」が見えないのでしょうね。ある意味「ゾッ」、としました。そして我々の生き様がお粗末であった結果の現社会若者達の「心内」を鏡とし、いたたまれなくも。
翻って思うに、このボクが例えば「失われた二十年」だとか「インターネット」だとかの、この平成に生れ落ち育っていたならば、「さて?、いかがでしょう」。こんな夢を語る男になっていないであろう、ギター抱えて曲を作り歌い、天下を獲る志の下人生を送り続ける「意欲」は持ち得なかった様に思う。
人は、先の世から受精を繰り返し得る素養と、時々の環境からその時代を生き又、引き継ぎ行く繰り返しですが少なくとも、昭和と平成の世しか自分の目で見ていない身ながら「コンピューター」の一般への普及が、「にんげん」から「ニンゲン」へと遺伝子の何かを書き換えつつある様な気がします。 イスラム国に代表される中東諸国の宗教や人種紛争に欧米の利権が絡み、元より散々米国が引っ掻き回した挙句「もうくたびれたから世界の警察官は降りる」を見、次代の雄とけん制受ける中国をかわしつつ、存在感を一気に現し力技に出たるは強面プーチン率いるロシア、「時が来た!」と。「第三次世界大戦は既に始まっている」とのとても笑えない説が頭をかすめては、窓の外の空を確かめ眺めておりまする。