戦ってゆく
2016年2月 8日
いろんな出来事によって心に波紋が広がり、場合によっては襞が荒れることもある。それをなんとかして抑えようとして戦ってゆく。まるで水面下に潜っていて息が足りなくなり、呼気を整えつつ浮上しつづけているのに似ているのだった。
いろんな人間がいる。人それぞれだが、例えばある人間と相対した時に生じる相手の人間性からくるありようの「差」とか「違い」というものに自分が持てあましてならないときがある。それを認めるかあるいはあまり気にしないようにするかで相当ラクになっていくはずではないかと思うのに、なかなか出来ないところもあって自分を苦しめているのだ。何かを見るのもするのも鉛を背負っているような気分になり、そのうちに何が何だかわからなくなってクタクタになってしまうことがある。自分自身のことについても案外気が付かない場合があるものだ。もしかして人に対してガサツなところがあるのではないか、と思ってみるのだが。いや、あるのだろうな。
人と関わって話をする際に、その何気ない会話をしているなかで何かを言い、そのことが後で微妙に気持ちが揺れ動いてもしかしてまずいことを言ってしまったのではないかな、と徐々に不安にも似たような思いに駆られて居ても立ってもいられなくなることがある。おかしなことに、「あのことについて言ったこと、もしかしてとんでもないことを言ってしまったのではないかと思っているのですが?」と、聞いてみたくなるからたまらない。
どうもなんとなくあぶないな、気を付けなくてはならないかもしれない、と思う。気楽にしようと少しずつ切り替えてゆく努力をする。頭をリセットし、コトの状態を分析してゆく。そうすることによって道筋が見えて気持ちがゆっくりと柔らかくなってゆく。
亡き父は、脳梗塞で身体が少し不自由だった。病院のベッドで胡座をかき、右手にスプーンを握っているがフラフラと揺れつづけ、左手に持った飯茶碗のごはんを掬おうと懸命に動かしていた。ベッドで仰向けになったまま天井の一点を見つめていた。何事かへと自分の想いの中で戦っていただろう。誰しもその内容や位置などは人それぞれの人生のありようからきているのだった。
母は高齢だが、元気だ。年齢から比較してもずっと元気だ。いろんな方々から「どうしてそんなに元気なんですか」と驚かれている。
新聞をよく読む。深夜であっても何かの出来事についてレポートみたいなものをB4版チラシの裏に2、3枚くらいびっしりと書く。わからない漢字など必ず辞書を紐解く。彼女は常々「朝の化粧と台所仕事と家庭菜園の畑作業は元気の素」とのたまう。おばあちゃん然としているわけではない。常に前向きに生きてゆくことに戦っているのだ。
たいへんだな生きてゆくことは─。
◎プロフィール
帯広市出身。自営業。文筆家。
著書 銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)
銀鈴叢書『歩いてゆく』(銀の鈴社)
喜久屋書店/ザ・本屋さんにて発売中です。