詩集「流れ星」
2016年2月22日
昨年の師走に、東京の敬愛するM氏から本が届いた。「流れ星」という詩集だった。著者は、たかはしけいこさん。
この詩集に「ツグミ」という詩がある。~わたしはツグミ わたしのことばがとどく人にだけ歌をうたおう~。
現代詩は難しいという声もあるが、この本の詩は易しくて優しい。
著者の第4詩集「そのあとひとは」にも「ツグミ」という詩がある。
~窓辺にツグミがやってくる エサをくれと鳴く 私はパンと柿を小さく刻み 置いてやる エサをくれないからと ツグミは私を恨むことはない なければないで そんなものだろうという 顔をしているように見える 私はツグミがすきだ 少し求めてあきらめがよくて それでも私の窓辺を忘れない~
潔いツグミの姿に私も共感する。人との関係性を処する古典の書「菜根譚」の教えにも似ている。人のためにする場合でも、計り報いを求めると施しの価がなくなるという。あたり前だがツグミはビジネスとは無縁である。
空に自由な夢を託する鳥は詩人の心だ。それは時代を超えて通じるものがある。著作権の関係でそのまま転用できないが既知の詩の一節を紹介したい。
金子みすゞは「光のかご」で、~鳥ははねをひろげて飛び立てるが光のかごでおとなしくかわれている~とうたう。金子みすゞは夫に詩作を禁じられて苦しんでいた時期がある。感情は押さえられたら表現の出口を求めたくなる。
谷川俊太郎の「空に小鳥がいなくなった日」は、~空は静かに涙ながした~と喪失を表現する。「ほほえみ」では、~人はほほえむことができるから、ほほえみで人をあざむく~とうたう。
ことばが人々へ語りかけると、語る人らしさが現れる。人をあざむくひとは主体とは遠いことばで自分を飾るだろう。
東京のM氏と画家のT氏とたかはしけいこ女史と私は食事をしたことがある。彼女は童女のようなイノセントな精神性を感じさせる女性だった。
「流れ星」は彼女の5册目の詩集だが、いずれも全国学校図書館協議会選定に選ばれている。無垢な心をなつかしみ素朴をとりもどすためにも、大人にこそ読んでほしい詩集である。
◎プロフィール
(よしだまさかつ)
北海道新聞「朝の食卓」元執筆者。十勝毎日新聞「ポロシリ」前執筆者。「流転・依田勉三と晩成社の人々」刊行。