梅は・・
2016年2月15日
瓶の中には赤紫色の実がぎっしり詰まっていた。シソの葉で漬かった大きな梅は、これこそ私の好きな梅干しと言える。ふと、小さいころのおやつで、竹の皮に梅干しを包んでしゃぶった記憶が甦った。周りに訊いてみたが「知らない」と言う。本州の同世代に確かめると「やったやった」と数人から返ってきた。
新鮮なタケノコの皮で、外側のうぶ毛のようなのを取ってから内側に梅干しを入れて、三角に包んだのを舐めた。しばらくすると唇が赤くなったものだ。考えるだけで口の中に酸っぱさが湧いてくる。呼び方は「梅しゃぶり」「竹の皮吸い」「ちゅうちゅう」だったか、定かではない。
一月の下旬、新聞に「梅の親善使節」の記事が載った。中島公園の伊夜日子(やひこ)神社で六十年続く献花祭があるそうな。太宰府天満宮から梅便りの使節団を率いていたのは禰宜の味酒(みさけ)安則さんで、菅原道真公が太宰府の長官で赴くとき、京都から付き従った側近中の側近、味酒安行公の四十三代目。梅がほころぶ頃に太宰府天満宮が、紀行や歴史の番組で紹介されると必ず登場する学芸員でもある。
三年前、太宰府天満宮を訪れた際、宝物殿で目にした白い鎧は、福岡市の広報でも太宰府の文化財として紹介されている。この一領は、私が永らく調べている織田信澄(信長の甥)が所有したものとして天満宮に伝わり、電話で味酒さんから詳細を教えて貰っていた。献花祭の当日、催事の合間を縫ってお目に掛かる中、穏やかな春の気配が漂ってくるのを感じた。
伊夜日子神社は、明治の末に新潟県から札幌へ移住した方々が建立し、越後一宮の弥彦神社を万葉仮名書きにしたもの。昭和四十五年には、太宰府天満宮から道真公が分霊され、札幌の天神様と呼ばれる謂れを中村憲由樹宮司ご夫妻から伺い、帰りに梅干しを頂いた。
ふるさと神奈川県小田原市の土産物に梅干しがあり、市の紋章は波頭と梅、動物園にいた象の名前もウメ子だった。今ごろ、小田原城址公園では梅まつりの最中だ。
♪梅は咲いたか~桜は・・まだこちらは雪が舞うも、日ごと空の青さは拡がっている。
◎プロフィール
〈このごろ〉大手レンタルショップで、毎週金曜日は六十歳以上だとDVDの旧作一本が無料。お陰で、見逃した映画を観るようになった。