伊豆松崎の夜
2016年2月29日
昨年の10月に伊豆へゆき、松崎町に3日間滞在した。充実した旅をサポートしてくれた人々がいた。
6日の昼に羽田空港に着き、伊豆急に乗り下田に着いた。レンタカーで松崎へ向かった。道の駅「花の三聖苑」で待っていたのが松本晴雄さん、渡辺攻さん、土屋晴樹さんだった。
松本氏は依田勉三の研究家で、ネットでその存在を知り、手紙を出して親しくなった。松本さんは高齢者だが頭脳は溌溂としていて歳の差を意識しない人物だ。
私は昨年の3月に「流転・依田勉三~」の本を出版した。すると松本氏が「松崎町の学校で依田勉三について講演して~」とメールがきた。行きます、と返事し、さっそく海辺のホテルを予約した。
ホテルに荷を降ろし、外食のために4人で車に乗った。暮れゆく海岸沿いの道をゆくと、民宿「長ェ右門」に着いた。
食卓に座り自己紹介になった。元教師の土屋さんは数学塾を経営。渡辺さんは伊豆半島のジオガイドの会員。魚介類の食事と歓談は至福であった。
翌日は松崎の小中学校で講演をした。教育委員会の協賛がかなわず松本氏は詫びていた。民間主導の急な企画に行政の支援は難しいと理解する私は「気にしないで」と応えた。
その夜「山光荘」に泊まった。ここは勉三の弟善吾の家で、孫の飯田昌子さんが旅館に改装した。女将は90歳の現役なのだ。
その夜、依田家の子孫の依田博之氏と松本晴雄氏とで会食した。家宝ともいうべき書や晩成社の写真類が目の前に出され、私はカメラにおさめた。
2階の「長八の間」に泊まった。外壁の窓の廻りには伊豆の天才コテ絵師「長八」の龍や寅の彫刻があるという。朝の光で早く観たいと思った。また、この部屋はマンガ誌「ガロ」で有名になったつげ義春氏も泊まったという。
つげ氏の「紅い花」の絵を思い浮かべ、女将の善吾の思い出や博之氏の話なども反芻して私はやや興奮して寝つきが悪かった。
◎プロフィール
(よしだまさかつ)
北海道新聞「朝の食卓」元執筆者。十勝毎日新聞「ポロシリ」前執筆者。「流転・依田勉三と晩成社の人々」刊行。