今も・・
2016年4月18日
四十年振りに京都嵐電の太秦(うずまさ)広隆寺駅で降り、「東映城」を目指す。東映城とは、二条城の大手門を模した映画村のシンボルとなっていた。
テレビで放送される時代劇の大半が、ここ東映太秦映画村で撮影され、時代劇ファンには垂涎(すいぜん)の場所だ。記憶に新しいところで「大岡越前3」と昨年の「水戸黄門スペシャル」がある。
この門で、通行手形=入場券を買ったことが甦ってきた。だが、今は隣接のアミューズメントセンターでチケットを売っている。見慣れた筈の日本橋や中村座など、江戸の街並みのオープンセットが閑散としていて、一抹の寂しさを覚えた。
町娘の扮装をしたスタッフに聞くと「土日は混むんですが・・」と言う。最盛期、ここで実際の撮影を見学出来た。
映画好きな私は、社会人となり上京し、休日になると有楽座・日比谷映画劇場・スカラ座などの大劇場が軒を連ねた日比谷で映画を観ていた。それも土日の上映一回目は、白いカバーの指定席が自由席になることで、早朝から並ぶことも厭わなかった。
このころ、映画館の係員として人垣の整理に当たっていたのが、友人で同い年の伊豫田広行氏である。しかし、この時は知る由もなかった。映画の後は、近くの紀伊國屋書店を覗くのが常であった。
一昨年、札幌駅に近い紀伊國屋一階のイベントホールでトークショーを実施した時、担当の木村敏明氏と知り合う。話の徒然に私と二つ違いで、若い頃は日比谷店の勤務と識る。
先ごろ、木村氏がリタイアしたことから文化財セミナーに誘った。そこで、伊豫田氏を紹介する。当時は、映画館に本の配達もあったそうな。
この三人でお茶をすることになった。日比谷界隈の華やかさに始まり話は尽きず、今はそれらの映画館や書店もないが、同じ時間を共有したと言える。
奇遇にも、其々が人と接する仕事に携わっていたことから、今のようなマニュアル化されたものでないハートのある接し方など、懐かしさの中に世相を反映した話に及んでいた。
移り行く時の流の中で、今も・・あの熱い日々が心の内に宿っているのは、同じだった。
◎プロフィール
〈このごろ〉宙乗りと本水、さらにプロジェクションマッピングを加えたスーパー歌舞伎Ⅱ(セカンド)「ワンピース」は、劇場がライブ会場になっていた。