日常の風景
2016年5月 2日
柔らかな日差しの中、公園には子供たちの声がひびき、北の地にもいい季節が巡ってきた。今年の桜は蕾の頃から毎日眺めることができ、それにしても短い花の命と感じることで確実に時は流れているのを実感している。長い冬も過ぎてしまえばあっという間だ。
家々がひしめく路地を気ままに歩いていると、ベランダに洗濯物が揺れていたり、狭い庭先にカラフルな花が並んでいるのが目に入る。静かな住宅街。家の中で住人はどんな時間を過ごしているのだろうと、いろいろ想像したりする。
小川の両脇に整備された長い遊歩道で何人もの人とすれ違う。公園の隣の野球場に向かって急ぐ子供達。身体に不釣り合いな大きな自転車にまたがって、真っ白なユニフォームを着た子らは一年生だろうか。紫外線が少し心配だけど、太陽に向かって公園のベンチに腰掛ける。目の前のフェンスで仕切られたテニスコートの二人は父娘だろう。ラリーよりもボール拾いがメイン。後から現れたジャージ姿の高校生グループは「あと30分、いい?」という父親の声に笑顔もなく了承し、ラケットの上でボールを弾ませている。
槇原敬之の『遠く遠く』が公園内に響く。芝生の向こう端のベンチでアコースティックギターを奏でながら若い男性が歌っている。練習しているのか、同じ曲ばかり繰り返す。無精ひげの槇原の顔が浮かぶ。何度聞いてもいい歌詞だなあ。感動しながら自分も心の中で口ずさむ。
何も起こりはしない。何という事もない日曜日の午後。退屈で変わり映えのしないこの日常がどれほどありがたいことか。先の熊本の震災で多くの人が命を、家を、財産を失った。二〇一一の東日本大震災の復興にもゴールが見えない中、まさか今度は九州で。地震のメカニズムを研究すればするほど、地震予知は不可能という結論に近づくと誰かが言っていた。近年度重なる災害の経験から、いち早く他都道府県からの応援隊、物資が熊本を目指すも、現地の人手が足りずうまく回らずやきもきする。しかしこの状況下、自身も当事者であるはずなのに被災住民のために汗だくで働く人達には感服する。
日本列島、どこで誰がどういう災害に遭遇してもおかしくない。私たちの生きている日本はそういう場所なのだということを、時が過ぎればまた、被災地から離れた人々の意識から徐々に遠のいていくかもしれない。自然の猛威の前に人は無力だ。
◎プロフィール
さえき あさみ
最近コーンフレークにはまっている。オールブランと7対3の割合で食べるのが最高。