「ザ・本屋さん」初代社長
2016年6月27日
お通夜の葬儀場に入った。
祭壇に視線が向いた。遺影の高橋千尋さんは笑顔だった。焼香を終えて、遺族に近寄り、お悔やみのことばを述べ、椅子に座った。壁の周りの供花には、東京の大手出版社の名前が並んでいた。
高橋さんは「ザ・本屋さん」の初代社長で、私の恩人のひとりだ。出合いは30年前、作家の小檜山博帯広文学支援会だった。会長は松本康信氏、副会長が高橋さんだった。私は事務局として会報や集いの案内状などを作った。
10年前に私は「モモの贈りもの」という初のエッセー集を出すことになった。新聞などに書いていた雑文をまとめたものである。高橋さんを中心に、ヒューマンリンクス富田友夫代表の協力で、札幌の中西出版から刊行できた。ふたりの企画と施しなしには実現しなかった。
新聞の全道版に書籍紹介の広告が載り、ホテルで出版記念パーティーも開かれ、帯に推薦文を寄せてくださった小檜山先生も同席してくれた。晴れがましいことは苦手だが、お礼の挨拶の際、私はうれしくて泣いた。
自己宣伝めいたことは苦手とする私だが、本の経費も免除され、冷や汗を流しても販売促進に尽くさねばと思った。講演会も企画され、帯広、幕別、音更などで話した。地元のFMラジオにも出た。
知名度があるわけでない私が本を出しても、そう売れるものではないと客観視できた。陰になり日向になり、私を応援してくれる人に報いるために自署の宣伝をした。私の利益には全く関係ない。だが、それゆえに恩返しに努めた。
そんな経緯があったので2册目の本を出すときは自費出版にした。昨年、上梓した「流転・依田勉三と晩成社の人々」は、十勝では「ザ・本屋さん」にだけ預けた。本を購入し、自署を売ってもらうのは、高橋社長の書店だけと決めてきたからだった。
◎プロフィール
(よしだまさかつ)
北海道新聞「朝の食卓」元執筆者。十勝毎日新聞「ポロシリ」前執筆者。「流転・依田勉三と晩成社の人々」刊行。