No.1,241
2016年8月 1日
都知事選挙の結果は如何に、誰であれ落ち着いて首都の課題に向き合いロマンを添え務め頂きたいもの。
選挙と言えば思い出すは入学して間もない一年生の分際、生徒会長に立候補し一部上級生からヤンヤ言われながらもタスキかけ選挙運動、全校生徒立会演説後運命の投票翌日登校、職員室前に張り出されていた結果を見た廊下の場面まで、の数日間記憶。 小中学でも似た経験あれども、高1でのこの選挙が特にチャレンジ感強くて印象深い。何より既定路線から外れた突然の立候補に関係教師達の動揺強く、昔で言う「目が点」状態。 思い返せば幼少よりいつも何かに挑んでいましたね、多分二十代上京時のレコード会社オーディションが最後だったのか、今ここで冷静に振り返ると。社会の仕組への実感薄く、世の中がとてつもなく広く遠く感じ一番向こうまで行きたくて、どうにもあがいていた。現在の様に情報無く、未だ霞がかっていた昭和の時代は面白かった、回顧主義大いに結構。「ポケモンGO」より「ビー玉にパッチ」、「ワンピース」より「巨人の星にあしたのジョー」。もう一つおまけに「AKB」より「キャンディーズに中三トリオ」ってね。
けれどこうして並べてみると、アナログからデジタル感へ移行はあれ、皆自分の育った時代背景が背骨になり、数十年の寿命をアガク訳ですが、思い知らされもします。人が意識を持ちバトンを渡し繋いできた命の、連綿とした事実はやはりDNAに聞いてみるしか知る術無しと。近頃NHKで「ファミリーヒストリー」なる親先祖人生を辿る番組見ては、何処の家庭も似た様に家系図人生を語り継がれていない、と。自分の親の前半人生すら知らないで送っていく子供たちの多いこと。「知りたくないのかな?」、それより語りたくない戦争体験等の繰り返しだったのでありましょうが、人類の歴史は。
ISのテロとか大量殺戮に日々鈍感になっていく自分の感覚に、「ホモ・サピエンス」の限界を垣間見るこの頃、であります。