No.1,248
2016年9月26日
敬老祭日の19日は昼からタモリさん司会の音楽番組を、10時間内結構の尺を直視しておりました。
今年は日テレの24時間募金番組も知らず通過し、時の風物テレビへも執着無くなりましたがソレでも音楽番組は、時代を感じる上でチャンネル合わせ。その長時間歌番組は意外に新旧取り混ぜた構成により飽きもせず、途中見ながら食事に入浴と夜10時、福山雅治最終ステージまで見届け。近頃多くの歌番組同様に、途中途中古き歌映像盛り込みながらを観ておりますと、いつも思いますが当時の歌手は本当に皆さんお上手。って「歌手」だもの、当たり前ですが取り分けアイドル達の音程は、現在の様にレコーディング技術も進歩していない中、口パクも見当たらず見事。ここでも「便利」が発明された故の反作用「後退」見られ、今後数十年先の世では自動運転車に代表されるが如くに又、様々認識に評価変わっていましょうね
さて、話を戻して感想ですが、宇多田ヒカルは六年活動休止していたとの事、久しぶりに見るとネットでも上がっていましたがお母さんの藤圭子さんに佇まいが似てきたね。同様にこれもDNAの恐るべき仕業、尾崎豊の子息はこれまた佇まいに声帯のコピー化はほぼ満点。尾崎は亡くなった当時も死因にまつわり色々有り、息子を抱え日本を離れた奥さんの今、正に逆襲の時って構図が見えて怖くもアリ。それも彼が26才で死した次の27歳の年齢で同化した息子を世に放ち、かつての尾崎フリーク達へあたかも彼の人生の続きを疑似体験させる戦略、と透け見え不気味にも。
早めの時間帯に森山良子と直太朗親子も共演していましたが、遺伝子のコピーを次世代に繋ぐが我々の存在理由とまざまざと知らしめられ。役者の多くの2世3世観ていても思い知らされますが「血」の中には、先祖代々無数の人生が織り込まれ見えてね。
もはや「幼き子供達」を、何も知らぬであろうと侮れぬ、とさえ見方変わる、昨今の遺伝子解明術でありんす。