香り満ちあふれる空間
2016年11月14日
仕事を始める前にあるいは休憩時などに、気分でも鎮めるべく手軽に紙コップでもいいからコーヒーを飲みたいと思う。しかしそういう店があっても第一、味が合わないし、胃に靠れ感が生じてしまうのだった。
そんなある日、さる大手スーパーマーケットへちょっとパンを買いに行った際、どこからか珈琲の香りがしていた。見回すとコーヒーコーナーが見えて、行ってみると珈琲焙煎工房「函館美鈴」とある。豆とコーヒーソフトクリームと珈琲器具他などを販売していて、そして珈琲を飲むことが出来るように小さなテーブル席が三つある。
(ふーん、いい香りがするなぁ…)
と思いながら、ぼくは立ち寄った。
「いらっしゃいませ」
30代の女性スタッフが静かな微笑みを見せた。珈琲マシンから紙コップに淹れた珈琲は200円で、まろやかさなどがあってなかなかの飲みやすさがある。一口飲むと、ふぅーっと息がした。少しの時間を利用して赤ペン片手で原稿に眼を通す。以来、珈琲タイムに通うようになってきた。
スーパーなど店内は食品売り場ゆえに気温が低くて寒く、ニットなどを重ね着するかして行く。焙煎中の濃厚な香りが暖かく鼻腔や顎の辺りなどを撫でていた。なんだか行ったことはないけれども、初冬の東ヨーロッパ辺りにあるどこかの国の街角にあるカフェにて、熱い珈琲を飲みながらガラス張りの向こうで朝日のなかを行き交う人々の吐く白い息が見えているような、そんな情景が眼に浮かんでくる。
束の間、どうということではないけれど、スタッフのタカハシチエ氏の仕事ぶりがそれとなく眼に入り、小さな売り場にあってもきちんと仕事をしているのがよくわかる。焙煎機を操作する、ミルで豆を挽く、ミルに残っている粉を引き出すためにレバーを何度か上下にガンガンと動かす、訪れるお客への対応、各種商品の展示状況の整理と確認、伝票整理および記帳など。ちゃんと仕事に向き合っているのだ。そういうところからはさまざまな情報やありようなどが伝わってくる。そんなスタッフがいるというのは会社にとって心強い存在ではないか。彼女は少し小柄の細身でポニーテールにブラック&ブラウンフレームメガネを掛けている。静かだが素直な礼儀があり、唇を閉じた口元から何かの思いもあるかのようでお客に対して何事かを納得しながら頷くような挨拶ぶりが伝わってくる。けっきょく仕事というものはどうやるもので、そうして生きるということはどういうことなのか、という当たり前のようなことを考えさせられてしまう。
そんな仕事ぶりや人としてのありようはこちら側に余計な思いや邪魔などを起こすということがない。
ぼくは珈琲タイムを愉しんでいた。
◎プロフィール
帯広市出身。自営業。文筆家。
著書 銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)
銀鈴叢書『歩いてゆく』(銀の鈴社)