紳士神出鬼没
2017年2月13日
人の存在を感じさせるありようにはさまざまなことがある。たとえば歩いている姿にいろんなことを感じる場合があり、そういう時には奇妙であったり人間的濃密さがあったりするのだ。いったいぜんたいどんな人なのかなと興味をそそられることがある。
ぼくは生業で車の運転をしながら出張する。帯広郊外田園地帯の国道を走っていると、ときおり脇を歩いている30代くらいの男がいる。防寒ヤッケ姿でメガネをかけて汗っぽい顔をし、身体は進行方向に向かっていくぶん斜めに構え、両手は車のハンドルを水平に握って交互に右へ左へと回すようなふうにしながらどうも必死に歩いているように見えるのだ。それは心身的問題なのかそれとも単なるクセなのかはわからない。10回通れば6回位は見かけるのだが、どこかへ仕事だとかで歩いているようには見えない。その歩くといっても周辺には集落があるわけではない。従って彼はかなりの距離を歩いていることになるのではないか。
またいつのころからか、ウチの界隈でスーツをちゃんと着ている紳士的な青年が歩いている姿を見かけるようになった。よく見かける人というのは大方、A地点辺りからB地点辺りへ行き、そしてその逆へと戻って来るのではないか。ところがその紳士はふしぎなことに実にいろんな方角から現れるのである。それは明らかに普通とは違うではないか。スーツを着てシングルチェスターコートに手入れの行き届いた革靴というスタイルで、姿勢はすっくとして視線はまっすぐ前を視ている。ときおり、洋服を着こなしているせいか顎をいくぶん引き加減にちょっとした気のリズムを整えるかのように、片側の肩先をクイッと動かしては滑らかに歩いているのだ。いったい何者なのかなと思う。
冬が終わろうとしていたある晴れた日。その男がウチの前を歩いてきたので、「あ、現れたな」と思い、ぼくは車に乗り、離れてゆっくりと後をついてゆくことにした。物書きは人間観察が大事なのだ、とうそぶく。いっとくけどぼくはストーカーではありません。念の為。とにかく普通に歩いている人間でこれほどに不思議さを感じさせる人はちょっといない。
で、ついていくと、ウチの中通りを北へと歩いて交差点を左に曲がり、一丁半行って次は左に曲がったので、え、と思い、それから次の交差点信号を右に曲がった。あれ、なんなんだ、と思った。男はそのまま行って大きな通りを渡り、長いスロープのような坂を行った。そうしているうちにやがて通りに面した建物一階の事務所に入っていった。
腕時計を見たら、午後一時近かった。そうか昼休みを利用して散歩だったのかな。ぼくはウチへ帰って行ったのだ。
◎プロフィール
帯広市出身。自営業。文筆家。著書 銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)。銀鈴叢書『歩いてゆく』(銀の鈴社)。
北海道新聞コラム「朝の食卓」執筆者。