No.1,266
2017年2月13日
連日話題をさらう、トランプ新アメリカ大統領の言動であります。 ボクなんかは先月の就任以来未だに現実として、大統領の椅子に座っている事が「実感」にならず。毎日のニュース報道で彼の姿を観ていても、何処かアメリカ一流のジョーク映画の一場面を見せられているのでは、との疑心に陥りし。それは心の何処かで、「自分が生きている内にこんな世界の変容」を、目の当たりにする機会に遭遇する準備が出来ていないせいでしょうか。それでも思い返せば十年程度間隔おきに、地球上で日本で、「まさか!」って事象が出現し、その都度混乱し戸惑って参りました。
長く生きているとね、時代時代の節目にバタリと遭遇し、やがて時が経って振り返り「その時の社会の反応」を思い返し、影響を受けし以後進んできた道のりを重ねては「失敗だった」とか、「結果オーライだった」とか、それは考えさせられる。
例えばボクは戦争体験は無いけれど、「戦争終了玉音放送」の前後で180度常識認識がひっくり返る体験の衝撃は想像に余りあり。「信じて命を賭していたモノ」が、虚構だと知らしめされるは、残りの人生に引きずる思考への影響は壊滅的でもあり。結果「違う人間」を創り出す、人は記憶と体験から創造なりし。
有無を言わさぬ自然大震災、人間の本質を見せられるテロ、一握りの輩の利権に支配される大衆。今回のトランプ戦法は「ポスト真実」とも言われますが、真摯的な言葉で訴えるよりも場のノリで人心を掌握せし、が現実を動かすと。日本でも政治選挙時によく「劇場型」等と、評される作戦と通じますが。そして今回憂慮しているのは、人々が「目先の自身の生活」の為ならば、真実への価値を重んじる必要性を軽々と乗り越えし価値観です、そこが暴走する始まりの予兆。
「今日は定説なれども明日には何がまかり通るのか」、そんな不確定な時代の加速、やはりこれもインターネットが引き連れてきた魔物のような。 「しっかりしなくっちゃ」。