No.1,276
2017年4月24日
「きな臭い」とはこんな世界情勢の真っ只中にいる、心穏やかではないモヤモヤ感時なのでせうか。
いつ、アメリカと北朝鮮が実行仕掛け何処までの範囲で人的国土的被害が広がるのか、と。いまだに日本では何処か他人事感が漂っておりまするが、いつ「ドンパチ」の渦中に陥るのか分かったものでは御座いません。米国副大統領が来日し、どの側近が与えた殺し文句か、トランプ大統領同様「日本との関係は100パーセント保障するよ」、との決め台詞で「核の傘」を餌に、時機に経済保障を強く取り付けにも迫り来ましょう。
が、ここで本当に日米安全保障条約の考え時がやって来たのでは。戦後72年を経て、自立の道を探る時が。来年いっぱいで「平成」も改元し、昭和天皇からの戦争を知る天皇世代交代時期も重なり『世界の中の日本の立ち位置』を国民皆で再考する時が。
思えば憲法九条を盾にアメリカの「トラの威を借る狐」に逃げ込み、闇雲に戦後の復興をモノづくりで世界を席巻して、違った形で日本国民が高揚団結し、経済戦争で敗戦の仇を取って来た。それはそれで「結果オーライ」ではあったが、サア、ここからどう致しましょうか。仮に現在、北朝鮮という火薬庫が側に存在しない、と仮定しても、米国の目付が有らずに中国が東南シナ海の島々を軍事拠点化侵攻続けたならば。ロシアとの北方領土問題も、韓国との慰安婦問題も、PKOへの自衛隊関与問題も、中東との石油に移民問題も何もかも自立的大人として対応すると、腹を括るためには必要なものは何なのか。今の政府を漂う日本会議的回帰に身を任せるは、違うと直感が反応。
ボクはね、エネルギー原子力発電なんて筆頭ですがこの国の財政に少子高齢化や地方疲弊、そして世界での立ち位置問題を考慮する上での判断基準は、少なくとも三世代先を生きる子孫たちの視座に立ち思考すれば、案外容易に間違う事もなかろうと思い至ります。争わずとも、人類はやがては居なくなるのでしょうし、ね。