ヨーイヤァサ~
2017年5月22日
朝の9時、京阪七条駅から三十三間堂方向へ歩く。桜の咲き誇る京都だが風は冷たい。国立博物館の開門を待つ列にKOIOI氏の姿があった。氏は名古屋に赴任していた時の上司だが、単身者同士として話をする機会も多く、私のハンドルネーム「平次親分」の名付け親でもある。
リタイア後は、私と同じ歴史散策の他に水彩画のブログ「キマギャラ」(きままな時にアップするギャラリーの意味とか)を運営、最近はウクレレの挑戦など多彩な活動をされ、仕事を離れても生きがいを持つ仲間として、上下の垣根を越えた交流が続き、昨年は姫路城での再会を果たしていた。
今年は、安土桃山時代の絵師で雲龍図などの水墨画や障屏画を得意とする海北友松(かいほうゆうしょう)の特別展覧会が京都国立博物館で開かれており、一緒に観ようと神戸から駆け付けてくれたのだった。
会場をひと巡りしてから、近くの智積院(ちしゃくいん)に向かう。ここの宝物館には、やはり友松と同時代に活躍した絵師・長谷川等伯と久蔵親子の障壁画が展示されている。この日は、寺院のグループが来館のようで、若い尼僧の説明が始まった。端から眺めていると「せっかくのご縁ですからご一緒にどうぞ」と誘われる。このような好機はめったにないことで、障壁画の由来などを詳しく聞くことが出来た。
折しも京都で春を告げる風物詩の都をどりが、瓜生山の京都芸術劇場・春秋座で開催されていた。スマホで検索すると、出町柳から叡山電鉄に乗り換えれば近いと分かり足を運ぶ。チケットがお茶付きで、菓子皿に〝都をどり〟と墨で描かれ、記念品として持ち帰れた。やはり同好の士だと話題が尽きず、たそがれ時分には舌鼓を打ちたくなる。
こうして知恩院門前の小体な店[わしょく宝来]のカウンターに陣取った。昨年8月、祇園の奥座敷・石塀小路の[豆ちゃ]で料理長を勤めた宝来剣太氏が開いたばかりの店で、老舗の味に新たな工夫を加える若手料理人としても定評を博しているそうな。
人がいて、酒があり、そこに包丁さばきがさわやかな味を醸し出すと、何処からともなく「都ぉをどりはぁ~」の掛け声が聞こえてきそうな春の宵となった。
◎プロフィール
〈このごろ〉デジタル時計を見るといつも2時22分とか17時17分のぞろ目を指している。偶然なのか、何かの暗示か。今の時刻は23時23分・・!?