広辞苑
2017年11月 6日
来年一月『広辞苑』第七版が出版されるとの発表があった。書籍の販売が低迷続きという時代に、これは花火のようなニュースだった。
昭和十年、広辞苑の前身となる『辞苑』が博文堂から刊行されベストセラーになった。辞書がベストセラー。もっとも辞書ではなくこれは百科事典のくくりらしいが、知の追及は人間のたしなみであり喜びの一つなのだと感じる。編集者である新村出を中心に戦中戦後を乗り越え、紆余曲折を経ながらも昭和三十年、岩波から『広辞苑』として改訂版を出版した。
今は亡き母は、理由は解らないが広辞苑の崇拝者で「新村出は凄い人だ」「広辞苑は素晴らしい」が口癖だった。国語辞典で解らない語句に困った時は「広辞苑で調べてごらん」と分厚いページを繰ってくれた。広辞苑は子どもには大きくて重くてページ数も多く、気軽に使えるわけではない。けれど、頼りの綱であることは確信していた。「ああ、あった。ほらね?さすが広辞苑だわ」と得意げに笑っていた母の顔を思い出す。知識欲の旺盛な人だった。
小学生の頃、寝床でうつぶせになって百科事典を眺めるのが何より楽しみだった。枕元の電気スタンドを引き寄せる。一ページずつめくっていくと、そこには様々な知らない世界が詰まっていて、どれほどワクワクしたものか。百科事典には世の中の全てが記されていると信じていた。が、そうではないと知るまで時間はかからなかった。(なんだ、百科事典って深くない。私の知りたいことは書かれていない。一体どこに答えがあるんだろう?)
ああ、どうしてその気持ちを強く持ち続けなかったのだろう。そこから始まる何かがあれば、今頃ひとかどの人物になっていたに違いない。しかし、私はそこで終わってしまったのだ。悔いの八千度流るる水のかへり来ぬなり…である。
閑話休題、小さなスマホ一つあれば知りたいことを何でも調べられ、電子辞書も影を潜めた。辞書を持たない時代にあって広辞苑の果たす役割はどこにあるのかという疑問も生まれる。私にも解らない。でも書籍が売れないといっても、どんなに科学が進歩しようとも紙媒体の文化は人間社会に於いて消滅しない、消滅するわけはないという強い信念と現代社会への果敢な挑戦にも思えてならない。
紙のページをめくる、その手触り、匂い、そして重み。書物を読む喜びは物理的作用も加わることでさらに高まる。紀元前二千年に古代エジプトでパピルスが使用されて以来、人間の文化に欠かせなかった紙。書物は決してなくならない。
◎プロフィール
NHKドラマ10『この声をきみに』は久しぶりに心震えるドラマ。こんな朗読教室があったら通いたい。