No.1,319
2018年3月19日
相撲界の暴行事件で横綱日馬富士が引退し、被害力士所属部屋の貴乃花親方不可解動向が注視され、やや落ち着きかけた処でピョンチャンオリンピック、日本勢大健闘で風向きも変わりし処が。
明けてすぐ今度はレスリング五輪四連覇中の伊調馨選手が、師匠の手元を離れて以後パワハラで選手活動の妨害を受けているとかで、騒ぎになり。
北朝鮮の核ミサイル開発問題もこの韓国五輪開催中にかけ大きく動き、南北首脳接近が一気。金正恩とトランプ大統領が近く直接交渉実現との事態に、安倍日本は頭越しの展開に作戦練り直し。目下の敵を置いておかねば、「憲法に記していない自衛隊員へ頼むとは言えない」との論理で憲法改正を目指すは無理筋に。
そしてあの日から、七年目に当たる三月十一日の東日本大震災関連の報道に接し、直後には国会で「森友問題」に関し財務省の記録改ざんに揺れるマスコミ報道。今度国税庁長官の座を辞しましたが、確かに佐川氏の昨年来理財局長としての国会答弁後からの栄転は引っ掛かり続けた案件。次から次と目の前の報道が局面を変え、アレモコレも瞬く間に過去の記憶に沈む。
「なんて安っぽい一面記事の時代だろうか」、情報も日々使い捨てに何ら抵抗感も無くなりつつある自分と、世界とに立ち返る。インターネット上の膨大な情報に接すると同時に「フェイクニュース」たるインチキ情報の存在に当初は敏感に注意向けていたものも既に飼いならされ、どうやら知らずに「いちいち考えて喜怒哀楽反応する事」すら、脳での居場所が隅に追いやられて来ている様だ。
こうしていつの時代もある程度の先が見える世代の人達は、新しい時代をソウ見つめているのだろうか。年配の人達からよく聞く言葉に、「残りの人生の興味にもう少し世の中の変化を見ていたい」と耳にしますが、こんなボクも、すでにそんな段階に居るのだろうか。
この地球上の人類はこの先、「何を幸せと据え、何を求めて生きるのだろうか」。