節目・・
2018年6月18日
人生で主な節目と言われるのは入学と卒業。入社や結婚。転勤に退職などがあり、神社の節目一覧には私の生まれ年が古希と記されていた。例えば創業祭や周年記念は、たいがい末尾が5か0で行事が行われる。
今年は、江戸が明治となって150年目にあたり、京都市の大政奉還150年。会津若松市は戊辰150年。鹿児島・山口・高知が明治維新150年。そして北海道150年などと枚挙にいとまがない。
先ごろ訪れた九州の佐賀県は「肥前さが幕末維新150年」で、幕末から明治に活躍した佐賀出身の人物モニュメント像が、街中の至る所に置かれ、散策ルートになっていた。最後の佐賀藩主鍋島直正は初代の北海道開拓使長官であり、札幌の礎を築いた開拓使判官の島義勇(しまよしたけ)の出身地としても、佐賀と北海道は所縁が深かった。
FMラジオのレギュラーで、月に一回放送局のスタジオに通っている。私の前の番組には、専門学校の生徒が男女10人ほど来ていた。何回か顔を会わすうち、孫のような彼らと話をするのが愉しみになった。その日、番組の話題で使う島義勇を描いたコミック本「島義勇伝」を持っていた。そこで、彼らに「この名前が読めるかな」と訊いてみると、一瞬戸惑った感じだったが「しまぎゆうでん!」と大きな声で答えた。さらに「何をした人か分かるかい?」と尋ねたが、手を挙げたのはたった一人である。
私が島義勇を知るようになったのは10数年前のこと。それまでは、札幌市役所のロビーや北海道神宮に銅像が建っているのを認識していた程度で、たまたま郷土史に詳しい人と知己を持てたことから、その事績を教えて貰えた。今回の旅に佐賀を選んだのは、島義勇の故郷を訪ねるのも目的の一つとなっていた。
佐賀県庁近くの体育館が「幕末維新記念館」になり、映像と音を使ったシアター感覚で幕末の佐賀藩と人物像を体験できる。さらに、市内に残る歴史的な建物を活用し、藩校「弘道館」や佐賀藩士の心構えをまとめた「葉隠」(はがくれ)を、解り易い見せ方で紹介していた。
短い時間であったが、維新の中でどのように佐賀藩が動いたのかを識る絶好の機会となる。佐賀市内だけでなく、周辺の鳥栖や唐津を始め県内各地を連動させ、維新150年の節目を立体的に発信しているように見えた。
◎プロフィール
〈このごろ〉突然の真夏日に見舞われ、一転して朝夕の肌寒さで着るものにも迷っている。これから迎える夏本番はどんな気温になるのだろう。