No.1,329
2018年6月 4日
今週から六月に入りますが、この時期の十勝は「ポカポカ」たまらない陽気の日々であります。ここ半年間は裸枝を晒していた街路樹たちも、一斉に緑の葉をまとい出し、幸せそうに風に揺れ。
ボクは三年前の春から軒先で、ホームセンターでミニトマトの苗を購入しては植え育て始め。すると夏には背丈程まで大きくなった茎に驚き狼狽しつつも、ポロポロと面白い様になるおいしそうなトマトを見定めてはもぎってモグモグ。確かに年中購入しているものより、味濃く美味しく感じるのは、単なる身贔屓か自己満足か否かは分かりませぬが、収穫直後に食べる鮮度には文句の付け様が有りません。
最初の年は苗に付く黄色い花の部分が、トマトの実になる事さえ知らないド素人。にしては、即座に結果が出て満足度の高い農事始め。調子に乗って昨年植えたトウモロコシの苗はソコソコ育ちしも、結局秋の収穫時になっても15センチ程度の実しかならず、上手くいかなかった。
それで今年はトマトを昨年の倍の六本と、オオバにレタスにパセリに小型キュウリ、ついでに落花生と一本ずつ植え込み、日々顔色を窺いながら液体肥料と水を注ぐ。トウモロコシの教訓であまり成果を期待せずも、毎朝観ていると彼らの体調的なものも自然と分かる様になり、いっぱしの育て親的気分に責任感さえも湧いて来る。
よく、知り合いの親御さん達が早期退職し、近隣にそこそこ面積の畑を確保し日がな、野菜や果物を育て、額に汗していると聞き及ぶ。自分で土いじりを囓ってみて、「ナルホド、長年に渡るご先祖様たちの生活ぶりの血」が安らぎと本能を刺激しているのであろうと得心。
時に、魚釣りが好きな人達の会話を聞いていても大いに感じますが、人類が野生の動物達を追い、木の実を拾い口にしては、命を何とか繋いできた数十万年の歴史の記憶に誘われる。
ゲームとかパチンコとか、スポーツの走り飛び泳ぎ、点取り的当て競技なんかもモロにそのまんま。 十勝は駅前から10分も四方に走り出せば自然の宝庫。いつでも旧石器時代へと引き返せますのよね(^_-)