隣人関係
2018年7月30日
隣人と仲が悪いという話はけっこう聞くことがある。「隣の木が成長して境界からはみ出している」「塀が崩れそうで危険だ」など隣人トラブルの原因も様々だ。長年にわたって不仲になっているので解決に難儀する。
だが、友好的な隣人もいる。私の家の隣の畑で家庭菜園をしているSさんとは、顔を会わし、笑顔で話を交わす機会が多い。
「今日は暑いから、水分補給だよ」と声をかける。彼は民謡を歌い、全町のカラオケ大会で優勝しているので、一時はその話題になった。私は民謡大会や歌謡ショーの新聞取材をしていたので、その分野に詳しい。
ある日、Sさんの家に招かれた。彼は郷土史の本を読んでいた。「大平原の忘れられない人々」だった。イギリスの女性探検家イザベラ・バードのアイヌコタン訪問の紀行文が載っていた。読みたい史料だったので借りた。Sさんは開拓時代にも興味があると分かった。
それで6月中旬に、Sさんと音更の渡辺勝の開拓記念碑を見学することになった。「車は私が運転するから。気にしないで」と言って出かけた。
写真を撮りながら、渡辺勝の家があった場所に住む農家の人にも会った。
「この辺りに勝さんの家があったんだね」と言いながら周りを見た。
帰りは晩成社の総代依田佐二平や宮崎濁卑なども登ったという国見山にも寄った。さらに、西士狩の鈴木銃太郎、渡辺勝、高橋利八の入植地の標柱を確認し「芽室町発祥の地」を見て記念撮影した。北側の神社の境内の朴の木に大きな白い花が咲いていた。
晩成社と鈴木銃太郎の研究をしている私は開拓者の知られざる逸話を語りながらの同行だった。
然別から伏古別(帯広西17条付近)へ出る渡船場跡も確認できた。勝が私設で渡したという。晩成社が入地した時代は大津から下帯広へは3日かけて丸木舟でさかのぼった。
車で移動し、トラクターが畑を駆け回る現代から、彼らの不便すぎる苦闘時代はとても想像しがたい。
芽室駅前で車を停めて、Sさんから昼食のラーメンをごちそうになった。
お互いに有意義な時を過ごした後なので、ラーメンが格別に美味しかった。
◎プロフィール
「北海道」の名づけ親が松浦武四郎。幕末の探検家は2月6日生まれだ。私と同じだった!