No.1,333
2018年7月 2日
本年も既に半分経過で、今週からは7月。まる丸一年、平成で迎えられる最後の後半戦。
この平成30年はボクにとっては12年に一度の幸運年である〝達成年〟期待を寄せ迎えた一年。がしかし、逆に油断していたか気付けばその貴重な年の半分を使い果たし、振り返り冷や汗タラリ。
確かに人生を振り返ると大波小波にさらされ、もしくは自らバシャバシャ入り込み、「何やっているの!」って自分にあきれる過去ばかりなり。その点今の時代、平成育ちの人々の人生観は多分、格段にボクらの世代とは時代背景も日常経験も異なり失敗は少ないのだろうね。多分、外見からは、さほど皆意識してはいないのだろうが、頭の中の神経回路の寄り道部分はまるで別仕立てでしょう。
分かりやすく述べますと、昭和世代は放任共同体脳「何事も経験根性論」その後の世代は管理AI脳「何事も寄り道せず近道論」と申しますか。時代の寵児、将棋の藤井七段15才を見ていても感じますが、いや、天才は別物でいつの時代にもアノ様な雰囲気での存在感でしょうか。
十年二十年で世の中の様相は変容、その最中に生まれ育つ価値観は連れて異なるは必然。この頃は教科書に載り学習させられた「日本史」なんかも研究者から異論、大幅に書き換えられたりしていますが、実際世の中で何が正しいかはその時々に委ねられ。「昨日の常識は今日の非常識」って軸は、柔軟に頭に入れておきたい。
ボクの考え方にも一定のラインが有り、譲れない点も御座いますが、それさえも「もし、自分の生まれ育ちが異なっていてもブンちゃんは同じ主張を?」ともう一人の自分に問わせ、つつ。直近の旧優生保護法による強制避妊、少子高齢化を受けての成人年齢下げ、過疎地JRの廃線。サッカーに野球などスポーツへのビデオ判定導入も。
あれこれ見聞きしていても何時も還る地点は、所詮「生命体全て、そして我々人間も自然の一部」って、壁と同一上の一体感なのです。
恐るべしは本能なり。