No.1,344
2018年9月24日
今年は「パワハラ」に「セクハラ」と・・ハラスメントが世界中で取り沙汰され、ムーブメント化。
日本でも政治家に官僚にスポーツ界に訴え広がり、連日ワイドショーで格好のネタに。思い返しても「あれって今年の話だった?」って、その手の件が溢れては世間飛びつき、やがては記憶の底に沈み、って言うか、当事者にとっては一定期間息をひそめ又、モゾモゾと動き出し。
時代を取り巻く様相の動きにより「何が大丈夫、何が大丈夫でない」って代物は容易に変容し、昨日までは「良し!」も今日は「アウト!」のジャッジ受け。受ける方は大抵長い人生をそれで当たり前に過ごして来た年寄りですから、戸惑いブーブー文句を言いながらも取り敢えず現世に合わせる。数多の企業なんかも、次々に製品偽装の謝罪会見。もう、どこの何の会社が何の件で頭下げているのか、もはや一般人もどうでもいい感覚。そして、それを見越してのタイミングを計ったようにプレスリリース。ここ十年で情報の価値が地に落ちている。インターネット上での軽はずみ拡散、トランプ大統領の吠えまくる「フェイクニュースだ!」何よりそれらを受けての我々の〝脳のマヒ〟。
人類は数万年の進化を遂げて、2018年現在の意識レベルはここに至っているが、はたして先の未来に21世紀を振り返ると、価値観変化の大きな曲がり角に僕たちは居るのだろう。ここから先十年単位で大きく世の中の「常識」は幾つもの曲り角を、安々と超えて行くはずだ。
「良、悪」、「幸、不幸」は又別の問題、なにしろ決まった定義なんかは存在しない。それは歴史を振り返り教えられる、「その世その時々のルール」は〝その世〟を生きていた人々の道標ではありますが、それに対する逆張りが本当に逆なのかは何ものにも判断はつかない。
今日でも水やパンを日々切実に必要とする者と、数千億円かき集めて宇宙に夢を馳せる者の共存する我が「地球号」であります。
人類は何処に向かおうとしているのだろう、ねっ。