No.1,354
2018年12月 3日
今週から12月に入ります、30年目にして平成元号最後の年末へと。
思えば、昭和天皇が崩御された昭和64年1月7日のその日の記憶は一概に30年と言えど、遠くにも無く。10年「ひと昔」なれば、「さん昔」。「むかしむかしむかし、おばあさんが川で洗濯をしていたところ・・・」って程の表現も許される時間でありますが。
何より今回の世代交代は、天皇陛下が亡くなっての改号ではない、が国民にとって静かに受け入れ態勢整えられし条件でもありましょう。「穏かに静々」と、今上天皇の長年のお勤めを拝見させていただきの結果、揃ってお疲れ様でした、と。
ボクも「戦争を知らない子供達」であり、昭和天皇と共に太平洋戦争の年月を過ごしていた国民が持つ天皇への想いを想像しても、決して軽々しく共感なぞ恐れ多く。それはより身近に遭遇した東日本大震災で直に被災した方々の心情を代弁できぬように。
だから30年前の天皇崩御の訃報から暫くは、この国の喪に服した空気感も強く身体にのこっている。
ごく最近9月6日、胆振東部地震で全道の電源が落ち、真っ暗闇の中過ごした数日にも同様感に支配され。その夜、全道民が空に広がるプラネタリウムのごとし満天の星々に驚き魅入ったは、とてもとても貴重な体験でもあった。
北海道の地方都市にいてさえ、自然を身近に暮らしてはいなかった悔恨。こんな自然のふもとで24時間生活しているのに、頭の中の意識は「都市化」に侵され、何かコンピューターの一部になった如くに日々をおくり。周囲の街灯や店のネオンで、これ程までに頭上に瞬く星座を見失っていた事に気づき、思い知らされた。いったいどれ程、実際は「有るもの」を見失い、「無い」と判断して反応している事なのだろうか、と。
目に見えぬ人の心、誰かが誰かに寄せる思いは地球を駈け廻る電波の様に知れず空を行き交う。
アクシデントがなくとも、見渡せるアンテナが欲しい。