No.1,364
2019年2月25日
底冷えの日々を過ごしておりました北海道ですが、先週からにわかに気温も上がり。
そんな浮かれ気分も、昨年3月ドカ雪事件が頭をよぎり自戒の日々。圧雪道路もアスファルト面が顔を出し、車も走りやすくスピードも上がりがちも自戒。今週後半には3月の声を聴き、平成も残り2か月でお仕舞いです。 あらためて区切り良くもある平成の30年間、振り返りますとナルホド昭和の粉塵残り香、後始末の時限に思えてきます。
あの昭和天皇、美空ひばり亡くなりし頃。一方バブルの真っ盛り日本中が浮かれていた、戦後復興の大波。「大きいことはいいことだ!」的感覚が一世を風靡していた時代。その大波感覚を反省整理させられ、国民を統制にかかったがこの平成の時代にスッポリとはまり。戦国時代から江戸時代、明治維新から世界大戦惨敗を経て復興、ブラザ合意から失われた20年。その後も見せしめ統制は多分野に渡り、監視カメラにスマホ所持で監視社会の出来上がり、仕上げは国民の相互監視グセづけ。
想い返せば、暴力団の一斉摘発から暴対法あたりが始まり、その後は学校内、体育会内、家庭内の体罰を順にマスコミも利用しつつ厳罰化。パワハラ、セクハラ、DV、正に今現在は親子間のしつけの範疇を法律化する動きへ。裏返せば、「そんな事、それぞれが判断して上手くやりなさい」が細事まで通用しない世の中となったことを見越し、法律家を増やし育成そして昨今の異常な弁護士ドラマの隆盛へと。
テレビ番組といいますと時の社会を反映し昨今は警察に、病院に、学園に、弁護士に、いつの世もの恋愛。懐かしきは時代劇に喜劇にバイオレンスにホームドラマにスポ根と、その多くの場面と役者が走馬灯。週末のゴールデンタイム、テレビは巨人戦にプロレスが最強の時代。ビールはキリン一強、現在の如くアサヒの後塵を仰ぐとは。
今年の5月からは昭和94年後の新時代、始まる気が致します。
どちらが先か、世の中は我々の脳の習慣を去勢しつ、歩く。