No.1,365
2019年3月 4日
今年の三月はこのまま静かに、どうぞ。ポカポカ穏かなる春に一直線へと願いつつ。
公立高校の入試もこの5日なのですね、新聞で最終出願状況を見て思うは先の就職へ直結する学科選択の倍率が高いのですねと。昔は何となく普通科高校へ、その後の大学進学先も同様に、多数派であった記憶ありますが。現世の若き人々はキッチリと先々を見据え、己の心の命ずる分野へ歩を進める姿を垣間見ては、頼もしさと共に自己の後悔重なり、チクリ。
例えばお世話になった看護師さんに憧れなど、それぞれがそれぞれに夢路の分岐の一歩が職業進路選択。成りたいものに向かって日々を過ごすは、その有意義な時間にこそ諸々他の生活雑事受け入れられる土台有る気がします。そして、その道で収入得て生活起こし、そこそこの人付き合い絡め、世代交代まで持ち込めば満点の人生なのでしょう。
自然も生物も一見すると、変わらずそこに佇んでいる様に思いがちですが、鴨長明の方丈記が如く毎年の同期生の連なりで、歴史は織りなされる。「どの世代も頑張れ、生きて行こう!」、何だかんだと言いながらも、それが生まれて来た意味なのでしょう。
話は変わります、今夜ベトナムでトランプ米国大統領と金正恩北朝鮮委員長の二回目の会談。ここまでの経緯を観ていて、結論的に核ミサイル開発に至った北朝鮮を無視できない現実が在り。合わせ、このタイミングでトランプ以外が大統領であったならば、これ程まで北朝鮮の〝土俵に上がって居ない〟は明白。その意味では、金正恩はついている。一緒にゴルフしてもらう日本国の安倍総理もそうかもしれない。
来年は早くもアメリカ大統領選ですって。安倍総理はノーベル平和賞の推薦をトランプに迫られ即座に呼応。二期目へ向け、国内外にも一層の「ムチとアメ作戦」のトランプ手綱、利益誘導、国境の壁、日本へもガッポリ軍事兵器売却、そして世界の調整役顔でこの世の春風情。
日本にとっても「核論」時かもしれない、原発との兼ね合いに目を背けずに。