No.1,369
2019年4月 1日
四月一日の午前中は「四月バカ」と言い、従来は大手を振りウソをついても大らか許される。世知辛い現世からすればトンデモナイ日。
その「エイプリールフール」には子供の頃、学校へテクテク向かう道すがら誰にどんな「ホラをふいてやろうか!」と考え登校したもの。がしかし、実際にはそんな気概も無く、結局は誰かのしょうもない見え透いたウソ話に、背を向けシニカル。
世間では大々的にマスコミ通じウソ話をぶち上げも、直後に「おいおい、シャレにならないぞ」なんて批判、今で言う「炎上」騒ぎがよく起こり、まあ、それもほぼご愛敬。
しかし、中には「シャレ」にならないネタを発信する人々もいるわけで、これも含めて「四月バカ」。考えてみると、ネットニュースに触れざる得ない現世人は今や常に「ウソニュース」に身構えつつ情報を受け取っている。
発信元の証明無い人により集められしニュースも、ネット上に日々まとめ上げられ何らかの生き血を吸うが如く、課金にあずかろうと。特にアメリカのトランプ大統領が、自分に都合の悪いニュースには「それはフェイクニュースだ!」と自信満々に「ウソニュースの存在を世界に認知」させだした頃から我々も半信半疑で世の中を観るクセがついている様に思える。
そして、メジャー、マイナー、個人、の発する情報がインターネットという媒介のせいで二十四時間世界中から湧き出て来ると、一々真偽を検証する間もなく又次から次で「混沌」。そこで、識者は自ら情報を選別真偽判断する目を養えと仰るが、ある程度の世代からは無理がある。生まれ育った頃からスマホを手にし、その画面の中に生きているようなもので、どちらが現実の世界かも、その疑問さえも持たない人々が増えて来る事でしょう。
社会の人付き合いは「友達の続き」的な親、近所に親類の付き合いも絶え、メインのネットのSNS付き合いに神経は疲弊。
時代に立ち向かう準備は出来た。
スマホを捨てボクの歌を聴きなさい(^_-)。