オベリベリのほとりで
2019年5月27日
昨年の私の課題は老朽化した家の中の片付けと、ライフワークの鈴木銃太郎の生涯を書くことだった。
だが、急ぐべき家の断捨離はあまり進まず、銃太郎の記録を調べることに熱中しだした。夏の暑い日は外に出るのを控えてエアコンの部屋に引きこもり、ひたすら文字を書きつらねる日が続いた。
また、芽室図書館に通って館内閲覧の史料に目を通し、メモに記した。時には、帯広図書館へ出向いて関連図書のコピーをした。秋になり冬がきても間違いさがしの校正はつづいていた。
編集をへてデータを印刷所に届けたのが3月で、製本されて届いたのが4月初めだった。新書サイズ264ページの本を手にして感激した。
鈴木銃太郎は、わが郷土芽室町(西士狩)の開拓先駆者だ。彼は信州上田藩の父の長男で、明治の激変する時代に牧師を目指したが挫折した。その頃、カトリックの学校で知り合った渡辺勝から「北海道開拓団に加わらないか」と誘われ心が動いた。
こうして銃太郎は開拓団「晩成社」に幹部として依田勉三とともに明治15年の夏に未開の地十勝を検分しオベリベリ(下帯広)を開拓地として決めた。
勉三は晩成社結成の準備で伊豆へ帰り、銃太郎はオベリベリに残された。
オベリベリ川のほとりには先住民族が住んでいた。銃太郎は先に入地していた和人の大川宇八郎と交流するようになった。先住民族から信頼されている大川を通じて周りのアイヌの人々を紹介された。その1人が狩りの名人タカサレだった。そのタカサレの妹がコカトアンで、周りの人々はトアンと呼んでいた。銃太郎とトアンは次第に親しくなっていた。
その銃太郎に大津の和人娘との縁談がもちかけられた。だが、和人娘との縁談は断わり、銃太郎はトアンとの交際をつづけた。周囲の反対を押し切ってふたりは結婚する。
この本は、和人開拓者とアイヌ民族との共生、開拓行政の遅れた十勝での開墾の苦労、晩成社を離脱してシブサラ(芽室西士狩)開墾までの約11年間を銃太郎の視点で描いたもの。
―読者はどのように読んでくれるだろうか。と思いながら取扱い書店に向けて荷造りをしている。
◎プロフィール
5月の連休を過ぎて、新刊の販売促進にやっと着手。伊豆方面や紀ノ国屋札幌、地元ザ・本屋さんなど取扱い店が次々と決まってありがたい。