札幌の夜
2019年7月29日
6月21日は、札幌滞在2日目だった。いつものごとく会いたい人、行きたい場所が多い。
午前は帯広の広告代理店に勤めていた頃の上司の事務所を訪問し、昼食をご馳走になった。西8丁目から札幌駅へ向った。紀伊国屋書店本店でたかやまじゅんさんと合流し、石堂店長にあいさつをした。自著の「オベリベリのほとりで」を取扱っていただいた。
6時前に三越へ向うと、小雨が降ってきた。三越のライオン像前で待ちあわせだった。傘もささずに横断鋪道に立っていると、ライオン像の横で軽く手を挙げた人がいる。佐藤正人さんだと分った。近寄ると、「これ使って」と傘をいただいた。透明の簡易傘だ。やがて新蔵博雅さんが見えた。ふたりとは約15年ぶりの再会だろうか。お互いにあいさつを交わす。
雨を避け、地下街や狸小路のアーケードを歩いてゆく。歩きながら狸小路の変化に驚く。中国からの観光客が押し寄せている。西8丁目の左に某ビルがあり2階に上がった。和食の店に入ると新蔵さんが右に、佐藤さんが向いに座った。
新蔵さんと私が会ったのは私が50歳頃だった。そのころ東京の方々と十勝人との交流で「渓流塾」という会ができて私は事務局を担っていた。その活動などに顔を出してくれたのが北海道新聞の新蔵帯広報道部長だった。私が地元のタウン誌「プラスワン」にエッセーを書いていることを知って十勝版の「防風林」の筆者に抜擢された。その後「朝の食卓」に書くことになった。
佐藤さんは道新の帯広支社長だった頃、帯広支社に顔出した私に「昼ごはんでも食べないか」と声をかけてきた。
―何か話があるのか?、と思いながら、次の予定が入っており断わってしまった。そのことが記憶の底に残っていて、年賀状を見る度に、あの日の場面がよみがえっていた。
6月に札幌へ行く予定をハガキで伝えると「飯でも食おう。新蔵さんも一緒に」と書いてあった。
和食のコース料理のもてなしに恐縮したが、北海道を代表するインテリジェンスのお二人の文学や今後の社会や政治に関する話題に傾注できて至福の時間だった。
◎プロフィール
再会の相手にもてなしで散財させるのではないかと心配する。せめてと手には帯広の銘菓を持参することが多い。