Facebook・・
2019年7月15日
リタイアして10年余経ち、この間に過ごしてきた見聞を本誌で綴り、FMラジオで映画や音楽について喋る。メールやLINEを通じ日々の出来事を交換する仲間も少なくない。そして年明けにFacebookを開設したお陰で、かつての同僚や知己を得た同好の士たちのコメントや画像を見て、大いに刺激を受けている。
私が載せるのは、旅先でのことや集めてきた本やレコードなどが多い。そのため仕舞っておいたものを出すのだが、何処にあるか覚えていた筈が定かではなくなり、探すのに手間取ってしまう。これはしばらく触れてなかったこともあり、記録を作っておけばよかったと、今更ながら悔んでみても仕方がない。
世の中では、断捨離とか終活の準備を叫ばれているが、これをしたら逆にストレスを起こしそうだ。幸い集めた物が私の人生を楽しませてくれる。その一つが、直近で手掛けた文化トークや展示の企画で、保存した資料を活かす場を与えられたと云えよう。
さてFacebookでの繋がりにふるさとからがあり、現在の小田原が知れることは、離れて暮らす私にとって嬉しさひとしおなのだ。発信の主は、テレビ番組の取材にも度々登場する小田原城天守閣の諏訪間順館長である。
城郭だけでなく、専攻された古代史や身近な話題までとその範囲は幅広い。城址公園の花だよりは子どもの頃に見た記憶を呼び起こしてくれ、時には花壇の維持や手入れに携わる人たちのエピソードが書かれている。まさに小田原城の顔と言っても過言ではなく、先ごろ帰省した際に訪ねたところだった。
その日、小学校が建っていた正門前に掛かる朱塗りの「まなびばし」から、鯉の群れを見つける。給食で残した〝コッペパン〟を投げていたのが、昨日のことのようだ。お堀には貸ボートがあり、灯篭流しや特設舞台の薪能(たきぎのう)もあった。
久々に海岸を歩くと様々なことが甦る。砂浜での野球、ラジオ体操や盆踊り、花火大会と水難供養の大松明。朝日の中で、地引網を手伝うと持参した〝アルマイト〟のボールに、ピチピチと弾けんばかりのしらすを漁師さんが分けてくれた。
こんな懐かしい風景を語ることもFacebookでの楽しみ方になった。これからも、きっと・・
◎プロフィール
〈このごろ〉チュンチュンと聞こえたスズメは半月ほどで消えた。いままた賑やかな鳴き声がしている。次の子育て準備なのだろう!?