No.1,389
2019年9月 2日
先週、お盆の十勝川花火大会は自宅で音だけ聞いていた、消化不良のお話をしましたが。そこで、「一念発起」と言えば大げさですが24日の花火大会を7時開始めがけ、スタスタと河川敷へ向かい歩きだし。
数日来の曇り空から一転、夏花火絶好天候に背中を押され意気揚々とスニーカーでスタート。もしかし、次第に持病の腰痛分離症が痛み出し「あ〜(/_;)、財布に常備の痛み止めを持ってこなかった!」と、後悔先に起たずも騙し騙し歩を進め。やがて、十勝大橋に近づく程に歩道には若いカップルが二組三組と、示し合わせたごとく合流し進む。
ボク自身は明確に河川敷の現場で間近に花火を観た記憶が無い。それでも遠い記憶に夏祭りが、周囲の大人達とセピア色に彩られ残っているのは生まれ育ちが大通りに面し、かつ広小路に程近かったからなのでしょう。
当時の七夕祭りの飾りは広小路からはみ出る程賑やかで、露店のたたき売りも強烈に面白く映画の「寅さん」みたいな怪しげな人々が何処からか集合しては、取り囲む多くの人々を大笑い、たらしめていた。盆踊り大会も又、大勢の踊り手と見物客で大賑わい、昭和の後半の日本全体がイケイケで右肩上がり、周囲の目もうるさくない大らかで豪快な時代は今から思えば「夢の別世界」と、記憶の中の幸せな財産になっています。
そういえば近々「寅さん」映画が過去の渥美清さんの映像を加工し、22年ぶりに新作として発表されるらしく、山田洋次監督が現代でいかなる社会提言して頂けるのか楽しみにしております。
映像で言えば、現在昼の帯ドラマ「やすらぎの刻」放映中の倉本聰さんの存在が「北の国から」は元よりドラマと舞台作品より多くの感動を受けました。彼の作品の泣かされる意味を考え続けたものです、劇中歌に使って頂きたい、ともね。みなさん御高齢ですが元気に制作続けて頂きたし、とても代わりは居ない才能人です。
すみません、肝心の花火大会の感想書く前に紙が尽きました。