No.1,390
2019年9月 9日
先週書きそびれし、十勝川道新花火大会の顛末。
この日は数日来の曇天から一転、ポカポカ絶好の河川敷観覧Dayへ。帯広市内から大橋目指し音更方面への道は打ち上げ開始の午後7時丁度をめがけたせいで、さして混雑も無し。程よく夕暮れも色濃くなりし頃に会場の「土手」に着くと、打ち上げ場所近辺には多くのテントや売店が並び、そして陣取った沢山の人々を見下ろす堤防の通路兼用道に一人佇む。
到着数分前から打ちあがり始めた大輪の花火たちを真近にし、「う〜ん、やはり先週大画面とは言え、テレビで観た諏訪湖花火はこの迫力の比では無いよな、そりゃそうだわな」なんて納得しつつ、アレコレ花火と過去の記憶の物語を交差させ見入る。
幼少時の遠い記憶にある近くで見上げた光景は果たして自分の目で見たものか、何かのテレビドラマでの映像が焼き付いているのか判然としない。年老いた母さんに、その事を尋ねるが現場には行っていないであろうとの返答にも、自分では確証を持てずに又、記憶を辿ってみるがもうそこに居たであろう大人達も空の彼方に消え確かめる術は尽きる。とりわけ当時、カメラなんて一般の人々は持ち合わせていず「写真館」が商売になり、家庭に残るアルバムが貴重な家族の歴史であった。
まあ、そんな事でボクにとっては初体験の十勝川河川敷花火と書き残しましょう。15年前には寒冷地陸別のしばれフェスティバルの音響の手伝い時に観た、花火のキレイさは脳裏に焼き付いておりますが、今回「夜空のキャンパスに描き出される一瞬の大輪」にはあらためて、ライブの力を再発見しました。
殊更近年は音楽もインターネット配信が普及、って言うかダダ漏れでミュージシャン達も印税頼み生活成らず、ライブ重視に移行と成り久しいのですが、逆に原点回帰の現場主義で歓迎ですけどね。再現性のないパソコン上の音楽制作でひと山当てる時代よりかは「勝負の土俵がライブ」の方が、命の賭け甲斐が数段有りますもの。