No.1,391
2019年9月16日
九月も半ばに入り、程良く十勝の秋を感じつつも、先週30度超え真夏日で未だ先が読めず。
五月終わりの38度強で幕明けた「令和元年の夏」は以後、曇天続きかと思いきや夏日ぶり返し行ったり来たりで一体、何度夏気分を味わった事か、5年分かな?。数年来温暖化の経験から十月に入っても「冬支度覚悟」せずに、フットワーク軽く行けそうではありますが。
さて、近頃は政治ネタも胸に響くというか一喜一憂するのも馬鹿らしくなっている、が本音。本日も「内閣改造発表」やっておりますが、変わらずの安倍晋三仲良し内閣にトキメキは無し。北海道議会新庁舎では禁煙にするか否かでガタガタやっておりますが、
鈴木新知事から全面禁煙にした方が良いのでは、との意思表示はマダ救い。韓国とのガタガタは、双方北朝鮮に中国にロシアにアメリカとの背景有り、日韓独立した交渉にも非ず根深い。南北朝鮮統一を目の当たりにするは何年先の事か、その時の朝鮮半島の活性化は並々ならぬであろうが、日本にとっては足元寒しでしょう。
香港でのデモ拡大は、一国二制度の必然で「生みの苦しみ」の始まり。産れながらに中国人ならぬ〝香港人〟としてのアイデンティティを持つ若者は、自らの立ち位置を賭け立ち上がり。
英国の、EUから抜けて先祖返りしようともがいている姿に、かつて同様に世界を席巻せしめた数多帝国達の現況を観るにつけ、しみじみと「停滞は衰退」の意味を噛みしめ。
かようにIT革命から実感を持ち地球が狭く見渡せるようになり、30年前は日本の地方都市駅を電車で通過する度に、「何処の町も同じ量販店の看板」で埋め尽くされ個性が失われる過程を嘆きましたが、今やそれが世界中丸ごと。それが先に謳われた輝かしき未来、「グローバル化」の正体であり目指した所でもあろうが、実際は民族と宗教の壁は殊のほか厚く多様性の限界を視聴。
「地球人」として混ざり合う日まで地球はもつのか。ロケット花火に未来はあるのか。