食い物の恨み
2019年11月 4日
亡き母は料理が上手だった。自分でも作るが食べ歩きも好きだった。父が定年近くまで時々単身赴任をしていたが、その間一人で店の開拓にいそしんでいたらしい。
「あんかけ焼きそばの美味しい店はここ」
「家族の会食なら個室もあるあの海鮮の店がいいわ」
ネットのない時代、どこでどう調べるのか、父も知らない隠れた名店へ連れて行ってくれたそうだ。東京まで密かに遠出していたのかもしれない。推測の域を出ないが、母の思い出話に必ず出る疑惑である。
中でも母の作るお稲荷さんは絶品だった。揚げは薄味の出汁がしっかりと染みている。中身は胃の腑をくすぐる酢が香る五目飯。大方のいなり寿司は具のない白酢飯であると、実家を離れて初めて知った。たまにデパ地下で五目稲荷を目にし、懐かしさから買い求めるも、母に勝る味には未だ出会っていない。
母のお稲荷さんは味の浸みた油揚げの袋の半数を普通に、半数は揚げを裏返しにして中にご飯を詰めるのが定番だった。艶のある表と、もふっとした裏。形よく交互に並べると見た目に美しく触感にも変化があって楽しい。
二度と口に出来ない大切な味を思い出すとき、同時に苦い記憶が必ずおまけでついてくるのが憂鬱だ。
それは中学の時。給食のない日だったので、多分土曜日の昼休みだったのだろう。教室で友達と弁当を食べていた。その日の私の弁当箱には件の母のお稲荷さんが整然と並んでいた。
「あれ、お稲荷さん?変わってる」
「おしゃれだね」
友達の褒め言葉で一層美味しくほおばっていたその時、ひょいと勝手に私の弁当箱から一つ盗んでいった奴がいた。確か、あいつの名前はヨシヒコだっただろうか? 名字は覚えていないが、クラスで一番小さくてすばしっこいお調子者だ。
「何だ、これ? 食べたことない味だ」
あれよと思う間もなく、やつは、ヨシヒコは、ポイッとゴミ箱に捨ててしまったのだ。その間きっと数十秒。教室の隅のゴミ箱に向かっていくあいつの後ろ姿は、棘となって私の記憶に刺さったまま。裏表のいなりずしを見るたび、思い出し胸がちくんと痛む。食い物の恨みは怖い。食べそこなった恨みもあるが、こんな形の恨みも世の中には存在するのだ。
一つのいなりずしから世界の食糧危機にまで問題を拡げる必要もないかもしれない。でも、企業や家庭などから毎日廃棄される食糧残さの山。それは生産者たち、飢餓に苦しむ人々の恨みの山でもある。恨みの傍には不条理な現実への悲しみも隠れている。
ヨシヒコ。今頃どこで何をしているだろう。生涯会うことはないだろうが、少し気になる。
◎プロフィール
北大の金葉祭(こんようさい)が脅迫メールによって中止された。なので、あえて当日のイチョウ並木を見に行きました。