花 の 歌
2019年12月23日
私の青春の歌というと何曲か思い浮かぶ。その1曲が「夢のカリフォルニア」である。(古典すぎる?)
札幌の出版社に勤めていた私は19歳だった。小型のレコードプレーヤーを購入し、最初に買ったレコードが夢のカリフォルニア(夢カリ)だった。この歌が誕生した背景が知りたくなって、ネットで検索してみた。
1962年、学生だったミッシェルはカリフォルニアのライブハウスでフォークバンドのステージを聴きに行った。彼女はそこで演奏していた背の高いギタリストのジョンに一目惚れし、2人はその日に意気投合した。駆け落ちして東海岸へ向かった。彼女の友達は「ニューヨークは寒いからウールを着たほうがいい」と言っていた。それを理解せずに薄着のまま冬の寒さに震えてモーテルで寝ているとジョンが「曲ができた」と言った。それが「夢カリ」だった。
3年後、2人はカリフォルニアに戻った。彼らはヒッピーのような生活を続けながら、当時「明日なき世界」がヒットしていたマクガイアの家に転がり込んでいた。居候のお礼に「夢カリ」をプレゼントした。その後、プロデューサーが「その曲を作ったあなた方がレコーディングすべきだ」と勧めた。旧友2人が加入して「ママス&パパス」が結成された。そして録音した夢カリが全米4位の大ヒットとなった。
歌詞をあらためて読んだ。
♪木々は枯葉色、空は鉛色。そんな冬の日に僕は散歩する 。もしロスにいれば心が安らぎ暖かいのに。こんな冬の日はカリフォルニアを夢見るよ♪
ニューヨーク(NY)で不遇の寒い冬を過ごしたからこそカリフォルニアを夢に見る、という。「夢カリ」の歌詞が出来たともいえる。
私は27年前のアメリカ旅行を思いだした。1月のロスアンゼルスは暖かくTシャツで過ごせたが、サクラメントからチコへ北上した翌朝は寒かった。NYはもっと寒いだろう。
ちなみにスコット・マッケンジーの「花のサンフランシスコ」はジョンが作った歌で、2人はニューヨーク時代の音楽仲間だった。45年前、花は反戦の象徴だった。「花はどこへ行った」などに私は共感して聴いていたが、作り手の意味が込められていたことにあらためて気づく。
◎プロフィール
(よしだまさかつ)
北国の春の到来は桜の花に象徴される。サクラといえば寅さんの妹の名前だが、新作「お帰り寅さん」を見るのが楽しみだ。