No.1,412
2020年2月17日
大投手金田正一さんお別れの会で献花する長嶋茂雄さんと野村克也さんの姿を映像で見たのはつい先日の一月。
皆さんも昭和の時代、日本中を虜にした国民的名プレーヤー達の現在の年老いた姿を垣間見てはシミジミ、懐かしさと寂しさに感じ入った事でありましょう。特にスポーツ選手達の走り飛び回る記憶は、例えば他の非肉体系職業とは違い若々しい姿で残るがゆえ、その後年のギャップ化は強く。
かの方々は80才を超えているとはいえ、少年時代に強烈に憧れ影響を受け野球に没頭して来た世代には、自分の人生の尻にも火が付いた感が押し付けられ。そして昨日野村さんも彼岸へと。
近頃考える事があります。物心つき少年時代の原風景が例えば平成の時代であったならば、このボクという存在は青年になり如何なる志・ドンな衝動を抱え、ドンな職業へと進んでいたのだろうか、と。
ボク自身20代前半頃迄はパチンコと麻雀もやりましたが、その後はゲームの類はやる事も無くもっぱら一貫し中高生時代影響受けたフォークロックを柱に生きて来ました。現在においても、生きるために歌うのではなく、歌うために生きて居る様なものです。もう決めてしまった生き様であり、もうこの後に大きく価値観を揺さぶられ転換する事は無いでしょう。
そこで、まだ頭の柔らかい頃、先のフォークロックの洗礼を浴びていなかった時代に産れていたとしたなら、自分はどんな人間になり、どんな思想で毎日を過ごしていたのか。 ネットゲーム依存、アニメやAKBみたいなのでいわゆるオタク化、車にも女性にもさほど興味を示さず、モノよりコト重視の「平成版ブンちゃん」がそこには居たのか。これはボクの若き複製が現代に居たならばある程度、視覚化なりましょうが、そこは残念ながら。
歌に関しては天下を獲る想い引きずり、後は気ままに絵を描いたり、そして一番時間を費やしているのは活字を追うこと。どれほど数多の本に助けられて、ここまで生きてこられた事か。あとはお酒とね(^_^)