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エッセイSP(スペシャル)

夢にむかって

吉田 政勝

2020年3月30日

 やわらかい線と淡い色調で子どもの無垢なる姿を描いた絵本作家いわさきちひろ(岩崎知弘)。その人生をあまり知らなかった。「いわさきちひろ27歳の旅立ち」のDVDを観て彼女のイバラ道に驚いた。
 ちひろは17歳の時に公募展に入選した。美術学校進学志望を両親の強い反対で断念した。彼女の父は陸軍軍人で母は元教師。3人姉妹の長女のちひろは21歳の時、親がすすめる乗り気でない縁談に従った。相手は東洋拓殖に勤める青年で、大連(中国東北部)に移転し社宅で新婚生活が始まった。だが、ちひろは新郎を嫌っていた。「そばによってきても鳥肌が立つ」と妹に話している。寝室も別で、新婦に拒まれ続けた夫は結婚1年後に自殺している。
 太平洋戦争が勃発し、東京大空襲で岩崎家が全焼し、戦争の惨禍を身をもって体験した。一家は長野へ疎開し、親は開拓農民となった
 27歳でちひろは家出同然で東京に向かった。家なし職なしの再出発は「画家になりたい」という一途な夢があるだけだった。焼け跡の一角にある「芸術村」やデッサン会に通った。新聞社に勤め、絵を描き取材もした。
 やがて30歳のちひろは、平和運動に打ち込む23歳の松本善明と出会う。価値観が同じで初めて人を愛する感情がわいた。「人類の進歩のために固く結びあって闘う。芸術家としての妻の立場を尊重する」と誓約書を交わした。松本家の両親に大反対され、六畳の部屋を花で飾って二人だけの結婚式をあげた。二度目の夫は、弁護士になるため勉強中で収入がなかった。長男が生まれ、ちひろは絵筆で一家を支える覚悟でがむしゃらに働いた。
 百貨店のポスターや食品の絵を描いた。やがて、絵本の仕事などが増えた。ベトナム戦争を意識して反戦的な「戦火のなかの子どもたち」も遺している。
 また、ちひろは作品裏に「乞原画返還」とはんこを押した。著作の権利を主張して仕事が減ると覚悟した。戻ってきた作品は1万点に達し「ちひろ美術館」に展示され収蔵されている。
 1974年8月8日、ちひろはガンに冒され55歳で亡くなった。「もっと絵を描きたい...」が最期のことばだった。

◎プロフィール

商業デザイン、コピーライター、派遣、記事取材などを遍歴。趣味は読書と映画鑑賞。

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