No.1,419
2020年4月 6日
志村けんさんが新型コロナ感染で亡くなり、驚きと恐ろしさをあらため具体的に人々へ結果、提言。見える形で、以前から知見のある人の病状悪化進行するさまは、心に堪え。
「人の死」には三種類あり、一つ目の自分の死はただ、そこで終わり。三つ目の知らない人の死は、左程身につまされない。そして二つ目の人の死、この家族やら身近な関わりある人の死が、何しろ堪える。
だから、志村けんさんの様に例え直接接点がなかったとしても、テレビ越しなれど時代を共有してきた「二・五つ目」の人の死にも強く反応する。
彼の生き写し姿のお兄さんの悲しむ映像を観て、即後日、ウィルスを避ける為、遺体にも接し得ず、荼毘に付された骨箱を両手で抱える兄さんの映像。骨箱を見せられると、本当にこの世から居なくなってしまった実感が沁み入る。
志村けんさんは70才だったのですね。4年前に肺炎を患ってからタバコを止めたとの事ですが、呼吸出来ない窒息の辛さ。
一節最終的には他のウイルス同様に共存していくしかなく、ただその感染度合速度を緩やかにすべく世界中、出歩いて人と接する機会を禁じている。ニュース報道されていますが国家権力が催涙弾で人の密集を散らしたり、棒で叩いたり、腕立て伏せ罰を与えたり。まるで近年の体罰禁止、パワハラなり何だかハラなりへ急激に気を使う様になっていった時勢の逆、「言う事聞かない奴は・・」の、ボクら子供時代の大人からのゲンコツ、そのまんま。
やはりこうもなりましょう、理屈で諭し納得するを待つ余裕の無い案件は例え現代においても。悠長な事していると絶滅してしまう、人類とて。
そうなると普段からのリーダー達の資質がモノを言う。平時には何だかんだ申しても、大して政治を身近に感じてはいないも、こう言った非常時には、やはり舵取り船長次第。ある程度定期的に、世界はこういった大振動を繰り返します。
それにしても「人間は調子に乗り過ぎ、地球も生きている」と、いう事なのでしょうか。