雪が積もって
2020年4月13日
3月4日、テレビで天気図により大雪警報が出ていた。帯広の積雪は50センチくらいだかの予報である。厭らしいのは、北海道を低気圧が両側から挟んで北へ向かおうとしている。等圧線図の円が幾重にもなって間隔が極端に狭まっている図に神経がざわめく。除雪が大変だなと溜息が出る。
雪が降るさまはとても素敵だが、ぼくは雪掻きが苦手で下手なのだ。ぐちゃぐちゃできたない。近所の人たちが見ていたらと思うと気になるな。スコップを差し込んだ直後からその雪面はだらしなくスキッとしていない。
自然状況にはなるべく触らないようにするのがぼくの在り方だが、でも生活環境においては積もったままにしていいのか。社会の一員として生活している以上? そんなわけにはいかない。起床すると顔も洗わずにヨレヨレのズボンを穿いてヤッケを着て手袋を嵌め、ママさんダンプとスノープッシャーとスコップを用意する。場所に応じて使い分けるのだが、とにかく作業するあとから雪は乱れて散らばる。最初からやらないほうがいいな。雪というものは自然に積もってシーンとしているさまが本当に美しい。なのにそれを壊さなくてはならない。
いちばん問題なのが、ウチは雪を捨てる場所がない。南側面にある家の前は舗道であり、西側は仲通り、東側は隣の家との間の細い路地である。そして裏側は屋根が南から北へと斜めになっていて、積雪して気温が上がるとズズズドォーンと落下し、裏玄関と東側にある物置の前を大きく塞いでしまうのだ。そこで除雪だが、先ず、家の前の雪は歩道と車道との境目辺りまでスノープッシャーで押してゆく。どこか遠くへ持って行くなんて出来ない。西側の仲通はお客が来たら駐車するわけで家に雪を寄せられず、裏側も置き場所などない。従ってさらに北側の奥へ行ったところには雪に埋もれて機能停止中の遊歩道地帯があり、仲通側の雪と裏玄関の雪を、それぞれママさんダンプで何度も運んで行っては捨てるのだ。範囲が広くて汗かき通しで風邪気味となるが、カッコントウを飲むとだいぶんラクになる。
実は町内に「雪掻きパーフェクトマン」がいるのだ。そのなんとなくどこかしらタカクラケンふうにも見える彼は民間会社を退職された方で、雪と語り合うように向かい合って雪掻きされているというふうなのだ。まるで求道者みたいではないか。そうして除雪後のその辺りは、ピシッ、シューッ、としてあまりにも凛として美しいくらいである。まさに別世界だ。
雪は人間社会の穢れや空気を浄化し、そして自分という人間を考えさせてくれるのだ。
◎プロフィール
帯広市出身。自営業。文筆家。趣味/映画・街歩き・旅・自然光景鑑賞。著書 銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)。銀鈴叢書『歩いてゆく』(銀の鈴社)。