No.1,425
2020年5月25日
知らぬ間に「桜」の時間を通過した今年、9月入学が仮に実現したならばコレまでの別れと出会いを桜に重ねた名曲達も幾年後には聴き方違え。
心象風景が「桜」から、「紅葉」とか「枯葉」に取って代わり、後世代には注釈必要に。歌の歌詞にはその時代を反映するセリフがあり、また世相に拘束されない普遍性とで構成され、共感を持たれる。よく言われる「電話のダイヤル廻し」だとか「ポケベル」だとかの死語を聴いても、場面が想像できずにピンと来ないと。かぐや姫の「神田川」に代表される歌の世界観の世代間ギャップを、このコロナ禍前後による世の中の仕組み変化が全世界的に作り上げていく。
例えば、高額家賃で都心にオフィスを構える企業達が今回の在宅勤務・リモートワークを実際にやってみて、毎日出社しなくとも意外に業務に支障無き事に気づき、以後オフィスを解約し続ける様な事態が各方面頻出。そうなると早起きし満員電車に揺られ昼はオフィス街、退社後は待ち合わせ会食だとかショッピングだとかの行動パターンも消え。
テレビを観ていても案外、もともと画面越しで観ていたのだからリモートとスタジオの出演者の混在にも慣れ、直ぐ違和感無くなり。
「リモート飲み会」なんてのもテレビで見ていて奇妙だが、考えてみれば遠く離れた友人と電話越しに酒を片手に話し込むは帰郷当時頻繁だった。それに画面が付加されただけだもんね。
人間の「脳」の部分はかなりバーチャル化されても短期に適応するものだと感心もする一方、問題は「肉体」の方ですね。労働と運動と、今回大きく取り上げられている医療関係面では身体が必要必然。
何となく、感じていた「要不要の仕分け」がこの2020年コロナ禍でなされ、それに沿い変わる社会構造。
自身、この平成から令和にかけ押しつぶされつつあった個人的限界点の最奥に居た、「神田川」的過去へ浸りたくなる。が、2020年の「十勝川」に息を吹き込む歌を唄い残すべく、「時代の転換点に立脚し、いくよっ!」(^_^)