背中を押されて
2020年6月22日
コロナ感染拡大防止のために緊急事態が発令され、外出自粛で自宅にいる時間がふえた。家で片付けをする機会と考え、保存していた写真や記事のファイルなどを思い切って捨てた。
手にした手紙に、捨てがたい感情がつのる。今まで保存してきたのは意味があることだった。作家の草森紳一さんの筆字で和紙に書かれた長文の手紙。思い出も浮かんでくる。中島みゆきさんのはがき、作家の石牟礼道子さんや音楽家の坂田明さんの年賀状もある。仕事で知り合った著名人たちだ。
そんな中に藤原ていさんの手紙がある。てい先生は「流れる星は生きている」で終戦の大陸引きあげ体験を書いてベストセラー作家になった。私の過去のエッセーで幾度か触れている文学の師匠ともいえる存在だ。
私は30代後半に某新聞社が主催する「エッセー教室」に入った。毎月600字ほどの課題を提出して数人の講師の批評を受けて学んだ。秀作は新聞に掲載された。ある日、私の作品が載って、てい先生による講評が記されていた。褒められていたので驚いた。その後、懇親会に出て、てい先生に声をかけられて励まされた。
2年間、教室で学んだが、私的な事情で教室を辞めることになった。てい先生にお礼の手紙を書くと返信が届いた。「たとえお目にかかれなくなりましても、どうかお書きになりますように。今までのペンをお捨てになりませんように」と記されてあった。すでに故人となり、今も書いている自分を報告できないのが残念だ。
私の背中を押してくれた恩人たちの顔が浮かぶ。文集に私の作文を全文載せてくれた中学のM先生。「新聞に投稿して」と勧めてくれた高校のK先生。意見投稿は難しく不採用ばかりだったが、次第に載る確率が高まった。また、コラム執筆に起用してくれたS報道部長。何度も「書きつづけるように」と声をかけられた。
こうして本誌にも書いている。「そろそろ私の後継者を。若手に席を譲りたい」と表明すると、T編集長は「私の目の黒いうちは書きつづけて」と真顔でいうのだった。背中を押す人がいて今の私がいる。
◎プロフィール
商業デザイン、コピーライター、派遣業務などを遍歴。趣味は読書と映画鑑賞、時々初心者料理も。