猫の幸せ、人間の罪
2020年6月 1日
札幌市北区の賃貸家屋から二百数十匹の猫が発見された。二階には多くの骨も見つかったとのこと。テレビの画面に映る荒廃した家の内部と、うようよとした猫の群れに悪寒が走り目を背けた。いわゆる多頭崩壊。この家の住民はいったいどこへ? とてもこの群れと共に生活できるわけがない。通報を受け久しぶりに見に来た大家が驚いたとのこと。当然だろう。
幸せになりたければ猫を飼いなさいという本があるが、一家庭で飼育不可能な数にまで繁殖すれば、人も猫も幸せであろうはずがない。
犬でも猫でも鳥でも、生き物を飼育するということは、命を預かることにほかならない。年に何度殺処分の問題を取り上げられても、教育現場で啓発をしても、動物愛護管理法を制定してもなお、簡単に解決できないのが現状だ。私の周りには保護犬や猫を家族として受け入れている人が何人かいるが、数のバランスからいって焼け石に水といった感がぬぐえない。
以前住んでいた住宅街で、毎年同じ猫が子を産んでいた。厳しい冬の間は姿を隠し、春になると元気に大きなおなかを抱えて登場するので半野良だったに違いない。生まれる子猫の中の一匹は、毎回死産か身体に障害を抱えていた。
ある日の散歩中、公園を通りかかったらギャ~という声と共に突然子猫が目の前に現れた。後足がねじれて麻痺している。もしやと思った通り、数メートル離れた場所からじっとこちらを見ている例の母猫。視線がぶつかり合った数秒後、母猫はひょいと民家の柵に飛び乗り消えてしまった。追いかけようと必死に暴れる子猫は、こともあろうに私の足元に転がってきた。私の連れの愛犬は臆病なもので、その非常事態に私の陰に隠れる。後悔先に立たず。つい拾い上げてしまった瞬間しまったと後悔した。家に連れて帰ったものの、ミルクも飲めずあばら骨の浮き出た体躯で暴れまくる子猫。獣医に診てもらったところ、どうにもならない、時間の問題との無情な診断。そして私の手を離れることとなった。
親猫を捕獲して避妊手術を受けさせようと試みたこともあったが、他人の庭から庭へとしなやかに逃げ回る猫はとても手に負えない。警戒心を強めたそいつは自分の生活範囲を一町先に変えてしまった。猫の寿命からしてもう既にこの世にはいないが、猫にまつわるニュースを見聞きするたびに思い出す、心痛い事件だった。
猫にも犬にも罪はない。人間ほど罪深い生き物はいない。
◎プロフィール
さえき あさみ
マスク生活で健康が蝕まれる気がする。唇がふやけてオバQになる日も。(『オバケのQ太郎』世代にしか通じないか)