No.1,456
2021年1月25日
昨年末テレビ壊れ、家電屋さんへ赴き50インチの液晶購入、助手席に積み込み自ら設置。以前はテレビをジックリ見入る事少なく、精々ニュースかスポーツ番組。けれど大画面で薄っぺらの今どきのソレは、かつてインチ1万円だった価格帯も手頃になり、何より見違えるほどのキレイキレイな映り。 昨年来から自宅でのコロナ巣ごもり生活が何より拍車をかけ、夜な夜な鑑賞の日々。番組欄で気になったものを録画予約しては、溜まり続けるそれを部屋の明かり落とし、アロマキャンドルなんか焚いたりしつつ。これはこれで「時間が惜しい」と思いつつも結構、はまります。
そこで弱りごと、そんな時間のお供には漏れなくアルコール添え、毎晩ダラダラ飲み過ぎるのよね。途中にキッチンに立ち、おつまみ等ちょこちょここしらえ。おかげで手料理の機会が増え、フライパンにお鍋使いも手慣れました。スーパーへ食材の買い出し頻繁に出かけては野菜肉魚諸々、小鍋料理に味噌や各シチューと多彩な味付けしていると、これが又、面白く。アレコレ発想湧いてアレンジしていると「料理も芸術の域」と思い至る。「道を間違えたかな、料理人って道もあったかも」なんてね。料理してお客さんに「美味しかったよ!」と喜んでいただき生計を立てられたら幸せかもしれない、って。昨今のコロナ禍では歌って演奏のライブも出来ず、一人閉じこもっている日々の思わぬ副産物的発想なのでしょう。
昨年の様に自粛し、行動の想い出も作れないまま、今年一年も過ぎ去って仕舞いそうな懸念大の2021年初頭。アフターコロナ、それ以前とは各習慣変わるであろう、も実感として芽生え出し。これから何を希望とし生きていくか模索、の人類たち。
また、非常時には世の中変わりだすと早い、IT革命後の、劇的に向かい出す方向性があるのかもね。
それと一年経てのウィルス変異し強毒強感染懸念、日常マスクも「不織布でなけりゃ叩かれる」気配も勃発。 「議員より医療従事者尊重」の、ご時世を垣間見つ。