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エッセイSP(スペシャル)

昭和の歌

吉田 政勝

2021年2月22日

 作詞家で作家のなかにし礼さんの訃報を知り呆然となった。昭和のヒットメーカーと言われ、私にとっては敬い共感する存在だった。
 自伝本によると63年に新婚旅行の伊豆下田のホテルで、声をかけてきたのが映画ロケに来ていた人気俳優の石原裕次郎。礼さんがシャンソンの訳詞をしている苦学生と知った裕次郎さんは「流行歌の詞を作って持ってきて」と頼んだ。迷いながらも礼さんは出来た詞を石原プロに届けた。その歌がやがて大ヒットとなり作詞家の道に入ったという。その後、礼さんは「裕次郎さんは私の恩人」と話している。
 6年前に伊豆旅行をした私は、裕次郎と礼両氏が遇った下田のホテルを調べたが不明だった。数年後に「下田東急ホテル」と判明した。 
 礼さんは終戦後、小樽に住んでいた。裕次郎さんも戦前3歳から5年間小樽で暮らし逗子に転居している。
 「小樽こそ自分の魂を置いてきた故郷」との思いを持ち続けた礼さんは「北酒場」や増毛の浜の情景を描いた「石狩挽歌」などを作詞し大ヒットした。北海道にちなんだ曲も多い。礼さんが手がけた作詞は4千曲ともいわれる。
 礼さんは昭和の終わりとともに作詞を卒業して、作家活動に軸足を移し「兄弟」を書き上げた。兄がニシン漁の事業で失敗してから一家がさすらう内容だ。この本は直木賞の最終候補になり次作で直木賞を射止めた。
 「赤い月」「夜の歌」では戦後、旧満州(現中国東北地方)で旧ソ連軍の爆撃に遭い、収容所の生活などを経て命からがら日本に引き揚げてきた壮絶体験が描かれた。戦争体験を基に、戦争や核兵器に反対する意見には説得力があった。
 私が10代末に、黛ジュンが歌う「恋のハレルヤ」を聴き、その明るい歌に惹かれた。礼さんは「恋や愛を自由に書くのが平和だ」と述べている。
 礼さんも裕次郎さんも言動がブレない男気のある人物で、そこが魅力的だった。

◎プロフィール

(よしだまさかつ)
商業デザイン、派遣業務、地域契約取材記者などを遍歴。趣味は読書と映画鑑賞、時々初心者料理も。

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