金文字表紙の国語辞典
2021年3月 8日
毎日、国語辞典を持ち歩いているのだ。
辞典から囁く声がしているような気配にきこしめす。ヒッヒッヒッヒッ...実に愉しくて気分がいいではないか。このうれしさ、たまらなさ、そのはるかなる宇宙世界よ。ほんと、興味も関心もないひとにはわからないだろうなぁ。ま、ぼくは無学無才だけど、できれば国語大辞典をバッグに入れて天下の公道を大手を振って歩きたいのだ。でも大きすぎて重すぎて無理なので、それは机上で使うことにしている。
コトバを知らない為、仕事に出かけるときはビジネスバッグに辞典を忍ばせ、オフタイムにもショルダーバッグにやはり入れて出かけるのだ。なんとすばらしい心掛けかと自分に甚く感心してならない。しかも小型版なのだが、それがあるだけでどうもなんだかぼくは格別な人間なのかなという気がするからふしぎなのだ...。いやそれはジョーダンでそんなわけはないが。辞典はたくさん持っていると言ってみたいがホントは数えるほどしかない。けっきょくロクに日本語を知らないのは、やっぱし凡人俗物だからかそれともオツムのもんだいなのか。
とにかくふだん使用しているのはその小型版の「新明解国語辞典 第七版」である。使い勝手が良くて重宝しているけれど、だいぶ手垢が濃くなってきたし時代も変わってきているのだ。そこで新しいのが欲しいなと思い続けていると、同じく第八版が出ることを知って心にポッと明かりが浮かんできた。書店に注文すればいいがそれでは感激が薄い。そこで折を見ては書店へ行き、無ければまた別の日に行くということを何度か繰り返していた。そうして暮れのある日に行ってみたら、8メートル先に見える辞書コーナーに、
(アッ、あった。凄い!)
遂に現れた。待ち焦がれていた「新明解国語辞典第八版 小型版」なのだ。ようやく手に入れることが出来て興奮してしまった。それは赤地のクロースに金文字が大きく刻印されて輝いているではないか。素晴らしいとしか言いようがない。
家に帰ると洗面台の前に立ち、石鹸で手を洗う。そして部屋に入り、改めて辞典を手にした。そっと顔の横に持ってきて頬擦りしてみた。それはスルッとした感がしてなんだか逃げられているような気もしたが、俗気の人間社会にあって確りと生きて行かなくてはならないのだなという思いもする。
金文字は光あふれて凛としていた。神は光なりき...と表れているではないか。まさしく言葉は神が創られて人に与えたのだ。使うたびにますます気に入り、自分は何かシンポしているのかなと思うのは錯覚なんだべか。とにかくこれから長いお付き合いをさせて頂くので、神妙な面持がしているのだった。
◎プロフィール
帯広市出身。自営業。文筆家。趣味/映画・街歩き・旅・自然光景鑑賞。著書 銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)。銀鈴叢書『歩いてゆく』(銀の鈴社)。