No.1,461
2021年3月 1日
底冷え感も徐々に緩みだし、3月になりました。コロナ禍生活も丸一年を経て、マスクに指手洗い、外出自粛も手慣れた昨今。皆様に於かれましてはお元気にお過ごしの事と希望して止みませぬ。直にポカポカ春の気配漂い、新緑もジワジワ芽生え始めましょう。
しかし、ワクチン効果以前に、接種行き渡らず今年も「花見桜見」は自粛模様。東京オリンピック、変わらず国民の過半数は開催に否定的ながらも、変わらず判断延ばし延ばしに。
私は元々人との距離保つ方ですが、実際更にこの1年「濃厚接触」を避け暮らしてみて、あまり外出しない、しても人との距離は2m、来訪者も自然に激減。やはり無意識下ながら、閉塞感募っている観強い。自宅でテレビ、映画ドラマを共に一人晩酌、これが毎晩の過ごし方に深く根付き。コロナ以前の『毎晩アチラこちらの温泉銭湯通いのルーティン』も止め久しく。危険ですがアルコール持ち込み自宅風呂に入る事が増えた。照明はアロマキャンドル、防水テレビラジオと共に、気持ち良い時間ですが〝自宅1人完結生活〟も良し悪しだね。重ねて同じ時期に腰から股関節痛め、運動出来なくなった事も巣ごもりに拍車をかけました。それ以前は頻繁に公園やら河川敷でジョギングし、スッキリ快活を楽しんでいたのですが。
こうして人は齢を重ね、行動も変容して終活へと向かうのだろうが、精神と肉体が相乗し諦めの階段を下りて行く様を体感させられ。上記が重なり、唯一の生き甲斐「音楽」からも少ーしずつモチベーションの揺らぎが。
先週、ある音楽番組を観ていて愕然としましたよ。一時間の放送中、出演者が一組も知らないって、初めての体験に。当然に日頃から音楽番組は目を通し情報を入れてますが、タイムスリップ感に戸惑い。いよいよ時代を直視し、自分の足元と行く末を克明にし、歩を進める場面、かと。
かようにこの、コロナ生活は様々な新しい視点を連れて来ました。「転機」とはいつの時もフィに、訪れし候。