表 と 裏
2021年3月 1日
子供のころ日本には表と裏があった。今でいう太平洋側を表日本、日本海側を裏日本。子供心にも、裏日本という言葉はマイナスイメージが込められた軽蔑した呼び名だと感じていたが、間もなくその言葉は使われなくなっていた。
父が公務員で転勤族だったため、小学校時代は三年ごとに転校していた。移動の辞令が出そうな早春、母には口癖があった。
「裏日本には住みたくない」
その願いが一度だけ裏切られ、山形に住んだことがあった。母にとって厳しい三年間だったという。夏の猛暑。ある夏は最高気温が四十度にまで上がった。木から蝉が落ちるほどの暑さ。実際に蝉が木からぽとぽと落ちたかどうかは知らないが、うちの家族の思い出話ではそういうことになっている。庶民の暮らしにはまだクーラーが普及していなかった時代だ。私は毎日学校のプールに通い、ひと夏で何メートルでも泳げるようになった。
冬はまた厳しい。毎日灰色の雲が低く垂れさがり、しんしんと降り積もる雪は一階の屋根まで到達する。一晩中降雪のあった朝は、玄関から人ひとり通れるほどの幅の除雪をしながら進む父の後をついて本通りまで歩く。湿った雪は除雪も一苦労で、父、私、妹の三人の列はなかなか前へは進まなかった。
それでも毎日学校へ通う子供はまだよかった。家に取り残された主婦の生活はどれほど鬱々としていただろう。積もった雪の圧力で窓ガラスが割れないように、板で窓を覆うため、日中も電気をつけての生活。ヨーロッパでの統計では、日照時間の少ない冬季の犯罪件数や精神的な病の発症率は高くなるとのこと。うつ病の治療のひとつに光療法があるというのは頷ける。
では表である太平洋側の生活がどれほどよかったかと考えてみる。子供はどこにいても環境にすぐ慣れる。学校に通えて、友達がいて、健康ならばどこでも楽しみを見つけられる。表がある所には裏がある。なにより表が良くて裏が悪いというわけでもなく、二面性があることで面白味が増幅されることも少なくない。
私は今、日本海側気候の札幌で暮らしている。薄暗い雪の日は「裏日本には住みたくない」という言葉が呪文のように蘇る。けれど、どこにいても必ず春がやってくるのだから、こんな雪の日があってもいいと思えるようになった。達観というより『枕草子』の影響かな。
◎プロフィール
さえき あさみ
日が長くなってきただけで見慣れた街並みが違って見える。春はあけぼの。朝カーテンを開けるのが楽しみだ。